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プランゲ文庫の資料から見る「戦争孤児・浮浪児」

第二次世界大戦後、数え切れない数の子どもたちが戦争孤児となりました。空襲や原爆により保護者を失った子どもや、外地から引き揚げ途中に親と離れてしまった子どもも含まれます。終戦の混乱に伴い政府からの支援が限られている状況で、多くの戦争孤児たちは自分たちの力だけで生きていくことを選択せざるを得ませんでした。靴磨きや物乞い、そして窃盗などに手を出すいわゆる浮浪児も現れました。プランゲ文庫には、これら戦争孤児・浮浪児の生活をうつし出した資料が所蔵されています。下記は一例です。

一般図書にみる「戦争孤児・浮浪児」

「戦災孤児の記録」(島田正蔵、田宮虎彦, 文明者出版部: 1947)には、児童福祉施設萩山学園に入所した戦災孤児の文章30篇が集められています。そのうちの1篇を抜粋します。(Prange Call No. D-0652)

「父と母を思う」 小三 中林博

ぼくが2年生までいたお母さまは、昭和二十年の三月の戦災で死んでしまひました。ぼくはお母さんがいないとたいへんさびしくてたまりませんでした。それからとゆうものはしばらくはルンペンをしていてもお母さまを思ひました。それからアメリカ人にひろわれ、半月ほどお世話になりましたが、そのアメリカ人がかへっていったので、またルンペンをしなければなりませんでした。ルンペンをすればやっぱりお母さまを思ふのでした。それから東京へきました。そしてある人にひろはれてそこで半月ほどいましたが、それから麹町一時保護所へいって、二三日いましたが萩山学園にきましたそれからここへきて校長先生にいろいろなことをきかれたときぼくはすこしなみだがこぼれました。ああお母さまと口にでさうになりましたがこれへていました。それからというものはお母さまお父さまのことを思ひました。ああお母さまがいればなあと思ひます。(pp.35-36.)

その他、下記の資料も戦争孤児・浮浪児を取り上げています。

  • 『童子抄』 齋藤喜博著 (古今書房: 1946) [Prange Call no. 403-0063]
  • 『クローズ・アップ』永井嘉一編 ( 硏光社: 1948)の15ページの写真、「クローズ・アップされた社会層の断面」 [Prange Call no. GV-0350c]

雑誌に見る「戦争孤児・浮浪児」

  •  『週刊朝日』(朝日新聞社) vol. 49, no. 1, July, 1946の12-13ページに収録されている「忘れられた戦災孤児」 加藤シズエ著 [Prange Call no. S-2321]

寄贈資料「Robert P. Schuster Photographs」に見る「戦争孤児・浮浪児」

socialmedia_-giftcoll_rs-0322Robert P. Schuster Photographsは、医療機器修理の専門家として占領期に日本に滞在したロバート・P・シュスター氏(Robert P. Schuster)氏から寄贈を受けた資料群です。

  • RS-0322: 写真の裏面には“These Jap kids are always eager to pose for pictures. Note the ruin Osaka, Japan Aug. 46.” とシュスター氏自身が書いています。
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