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オーラル・ヒストリー特集: エレノア・ハドレイ氏(Eleanor Hadley)

マーリン・メイヨー・オーラル・ヒストリーズに収められているインタビューをオーラル・ヒストリー特集としてひとつずつ詳しく紹介していきます。現時点で29件のインタビューは筆記録をオンライン上で公開しています。その他の筆記録および音源はプランゲ文庫館内にてご利用頂けます。これまでのオーラル・ヒストリー特集はこちらのページをご覧ください。 7月17日はエレノア・ハドレイ(Eleanor Hadley)氏の誕生日です。 ハドレイ氏は1916年、ワシントン州シアトルで誕生しました。東京帝國大學に進学する奨学金を受けたハドレイ氏は、1936~40年の間に何度も中国や日本を訪問します。その後ハーバード大学の博士課程に在学中の1943年、経済専門家として国務省で働くオファーを受けました。占領期には連合国軍最高司令官総司令部(SCAP)の一員となり、財閥解体に深く関わりました。占領期終了後は、スミス・カレッジとジョージ・ワシントン大学の教授を務めました。 マーリン・メイヨー・オーラル・ヒストリーズのページで、ハドレイ氏のインタビュー筆記録をダウンロードできます。

求人広告の日(7月14日)

7月14日は求人広告の日(日本)です。プランゲ文庫が所蔵する報道写真群に「一件もない求人申込 街頭進出の職業安定所」(6/29/[1948])という写真がありました。 記事によると、求人数が激減している現状をかんがみ、神田の職業安定所が街頭にて求人申し込みを呼びかけたものの、求人申し込みは一件もない有様。かわりに失業者が求職に集まる事態になった、とのことです。(サン報道写真, Call No. S191) 写真はクリックで拡大します。サン報道写真のリストはこちらからご覧頂けます。

企画展「福岡の広報紙展~伝えたい!知ってほしい!行政の取組み~」福岡共同公文書館

7月19日より企画展「福岡の広報紙展~伝えたい!知ってほしい!行政の取組み~」が福岡共同公文書館にて開催されます。ウェブサイトによると、地域性豊かな広報紙を展示し創刊号や全国広報コンクールの受賞広報紙などを紹介する、とのことです。編集作業の流れなどに関するパネルも展示されます。この企画展でプランゲ文庫が所蔵する資料がパネルで使われています。 開催期間は2017年7月19日~9月24日。詳しくはこちらのページをご覧ください。 *この記事は福岡共同公文書館の許可を得て掲載しています。

保存作業:ペーパークリップ

デジタル化にあたり、事前に資料からペーパークリップやピンなどを取り外す作業が必要となることがあります。左の写真は今までに取り外してきたペーパークリップ、ピン、釘、留め具の一部です。これらを取り外す際には、資料を傷めないように細心の注意を払います。 下記のスライドショーでプランゲ文庫の保存作業担当スタッフが、ペーパークリップを取り外す作業を詳しく紹介します。     他にも、バタフライクリップ(バタフライクランプ)も寄贈資料の中から発見しました。最近ではあまり見かけないクリップの形状です。クリップの代わりにピン、針、釘などが使われているケースに遭遇することもあります。ペーパークリップの歴史については、 Evolution of Useful Things by Henry Petroski (NY: Knopf, 1992)という本の4章”From Pins to Paper Clips”が詳しいです。

プランゲ文庫Instagramアカウント開設のお知らせ

プランゲ文庫はインスタグラム(Instagram)アカウントを開設しました。フォローをどうぞよろしくお願いいたします。 日本語アカウント 英語アカウント

全国安全週間

7月1日から一週間は「全国安全週間」。厚生労働省ウェブサイトによると、今年2017年は90回目の全国安全週間とのことです。 プランゲ文庫が所蔵する壁新聞に、1948年と1949年の全国安全週間に関するものがありました。(クリックで拡大します) まずは1948年6月発行の「安全衞生壁新聞 No.4」(日本産業福利協会発行)です。「全國安全週間始まる 職場を安全に健康に」という書き出しで始まるこのポスターは、職場の安全を保障するにはどのような事を心がけたらよいのだろうか、と問いかけます。また安全で健康な職場をつくるためには安全週間の間に大掃除をして心身ともに明るい職場を作ろう、と呼びかけています。     こちらは翌年1949年6月発行の「安全衞生壁新聞 No.13」(産業労働福利協会発行)です。民間検閲局(Civil Censorship Detachment – CCD)のスタンプによると、発行部数は2,000部。第二十三回目の安全週間を迎え「災害の数は、年によって消長がありますが、本當に安心して働ける職場になるのはまだまだです」と、更なる職場の安全確保を訴えています。ポスター下段では「事故の三大原因」として、「見ざる、聞かざる、言わざる」のフレーズを引用し「僕は見なかったんだ・僕は聞かなかったんだ・僕は知らなかったんだ」と書いています。 どちらのポスターも、画・構成は「榎本眞砂夫」とありました。これらの壁新聞はデジタル化されており、プランゲ文庫館内にてデジタル画像をご覧いただけます。閲覧をご希望の方は、こちらからお問い合わせください。

「マッカーサー」検閲

Censored Newspaper Articlesは、どのような記事が民間検閲局(CCD)の検閲官の目に留まり検閲処分に至ったのかを知る上で、非常に貴重な資料です。これらを通して見ていると、ダグラス・マッカーサー元帥を取り上げた記事が頻繁にHOLD処分を受けているのに気がつきます。 その中には日本の占領政策に対するマッカーサー元帥の考えに関するものもあります。例えば「講和の希望に燃える日本に適切な占領政策 マッカーサー元帥一九四八年の晴姿」と題された1947年12月22日の共同寫眞通信の記事は、「マッカーサー元帥が日本の民主化は満足すべき状態で進んでいる」と感じていると述べた部分がDelete(削除)処分を受けています。(Call No. 47-loc-1899) また1947年10月15日のAssociated Press World Service/日本経済新聞の記事は、米国が極東委員会(Far Eastern Committee)に打診した内容に関するもので、それらが「マッカーサー元帥の方針」とあり、マッカーサー元帥と書かれた箇所だけがDelete処分となっています。(Call No. 47-frn-1612) しかしCensored Newspaper Articlesの中にはマッカーサー元帥の名前は取り上げられているものの、記事の内容としては検閲処分を受ける理由がわかりかねるものもありました。例えば1947年10月9日のNippon Times及び読売新聞の記事は「マッカーサー元帥の従妹が結婚」との内容ですが、Suppress(発禁)処分を受けています。(Call No. 47-frn-1260, 47-frn-1261) また共同通信とAssociated Press(AP)が提出した、かつてマッカーサー元帥が住んだマニラホテルの5階がナイトクラブとして改装、という記事も同じくSuppress(発禁)処分を受けました。(Call No. 47-frn-1710) 他にもマッカーサー夫人が極東国際軍事裁判を傍聴している様子を写した写真が検閲処分を受けた例もありました。また読売新聞が中学生を対象にとったアンケートでも、マッカーサー元帥について触れた箇所が削除処分を受けていた例も以前に紹介しました。