イベント

企画展示「Crossing the Divide」終了

昨年10月から開催していた企画展示「Crossing the Divide: An American Dream Made in Occupied Japan, 1945-1952」が終了しました。ご来場くだった皆様、ありがとうございました。ホーンベイク図書館ギャラリーでの展示は終了しましたが、オンライン展示は引き続き展示された資料をご覧いただけます。また展示目録も作成しました。 ホーンベイク図書館ギャラリーの次の展示は「Made Possible by Viewers Like You: Maryland Public Television Turns 50 」です。メリーランド州唯一のローカル放送局、Maryland Public Televisionを取り上げます。9月から2020年7月まで開催予定です。

展示資料紹介:「ぼくらの野球」

2018年10月中旬より当メリーランド大学ホーンベイク図書館Maryland Room Galleryにて、プランゲ文庫の展示「Crossing the Divide: An American Dream Made in Occupied Japan, 1945-1952」を開催します。開催期間は2018年10月~2019年7月です。月に一度、ピックアップした展示資料の紹介を行います。展示資料シリーズはこちらからまとめてご覧頂けます。 「展示資料特集シリーズ」の最終回は、児童書「ぼくらの野球」中沢不二雄著 (山の木書店, 1948) (Prange Call No. 541-049) を取り上げます。 GHQ/SCAPの助力もあり、日本政府はアメリカを象徴するスポーツの野球を通じて民主主義の理想を国民に浸透させようとしました。「ぼくらの野球」には、野球におけるファインプレー、米国メジャーリーグの構造・歴史・スカウトやトレードのシステム、外国及び日本野球の情報や歴史、野球における科学的な進歩(例:ランニングフォームの向上など)、そしてジョー・ディマジオ選手や大下弘選手など著名選手の伝記など、野球に関する多くの項目が掲載されています。 この本は既にデジタル化されており、そのデジタル画像はメリーランド大学図書館デジタルコレクション(全文はメリーランド大学カレッジパーク構内アクセスのみ)及び国立国会図書館デジタルコレクションにて館内限定で閲覧が可能です。

展示資料紹介:「ダンス人にお好みを訊く ダンサーは答える」

2018年10月中旬より当メリーランド大学ホーンベイク図書館Maryland Room Galleryにて、プランゲ文庫の展示「Crossing the Divide: An American Dream Made in Occupied Japan, 1945-1952」を開催します。開催期間は2018年10月~2019年7月です。今月から月に一度、ピックアップした展示資料の紹介を行います。展示資料シリーズはこちらからまとめてご覧頂けます。 「展示資料特集シリーズ」の九つ目は、雑誌「ダンス」(Prange Call No. D115)に1949年4月に掲載された「ダンス人にお好みを訊く ダンサーは答える」を取り上げます。 質問形式のこの記事では、どのような経緯でダンサーになったのか、客の好み、最も辛い経験は何であったか等、様々な質問に各ダンスホールのダンサーが答えています。なぜダンサーになったのかという質問には、ほとんどが生活の為と言いました。例えばあるダンサーは妹の学費を稼ぐ為と言い、また他のダンサーは、戦争で家業が続けられなくなったため家族の生活を支える為にダンサー職に就いてると語っています。一方あるダンサーは、半分は生活の為でもう半分は自分のダンスへの情熱の為にダンサーをしている、と答えました。 その他ダンスに関する資料は、こちらのオンライン展示からご覧頂けます。

展示資料紹介:「ダンサーライフ」

2018年10月中旬より当メリーランド大学ホーンベイク図書館Maryland Room Galleryにて、プランゲ文庫の展示「Crossing the Divide: An American Dream Made in Occupied Japan, 1945-1952」を開催します。開催期間は2018年10月~2019年7月です。今月から月に一度、ピックアップした展示資料の紹介を行います。展示資料シリーズはこちらからまとめてご覧頂けます。 「展示資料特集シリーズ」の八つ目は、雑誌「フォトグラフィ」(Prange Call No. F15)に1949年11月に掲載された「ダンサーライフ」を取り上げます。 「ダンサーライフ」はダンサーの一日を写真で紹介する記事です。撮影者によると、ダンサーの由利さん(当時22歳)は北海道生まれで、幼少期は何の不自由もなく育ったそうです。しかし戦後は生活のため、東京で昼間は役所勤め、夜はキャバレーで働かざるを得なくなりました。その後由利さんは仕事の掛け持ちをやめ、ダンサーとしての夜の仕事に専念することとなったそうです。この記事では、由利さんが小麦粉の配給を待っている様子や、友人と出かける様子などが写されています。 記事全文はオンライン展示にてご覧ください。

メリーランドデー2019

2019年4月27日(土)、メリーランド大学カレッジパーク校で21回目の「メリーランドデー」が開催されました。メリーランドデーは年に一度のオープンキャンパスイベントで、様々な学部や学生グループなどが毎年400以上のアクティビティを提供します。今年は風の強い一日でしたが、快晴の下たくさんの家族連れで賑わいました。 プランゲ文庫はホーンベイク図書館1階ロビーにて折り紙のコーナーを提供、今年は折り紙ハートの作り方を教えました。またメリーランド大学の折り紙クラブの学生も参加し、難易度の高い折り紙作品を披露しました。また今年は現在開催中の特別展示「Crossing the Divide: An American Dream Made in Occupied Japan, 1945-1952」のツアーも随時行いました。この特別展示は7月まで公開します。 メリーランドデー当日の様子は下記の写真をご覧ください。ご来場いただいた皆様、ありがとうございました。ちなみに来年のメリーランドデーは2020年4月25日に予定されています。また来年!

Prange Staff Pick from the Exhibition – Made in Occupied Japan

2018年10月中旬より当メリーランド大学ホーンベイク図書館Maryland Room Galleryにて、プランゲ文庫の展示「Crossing the Divide: An American Dream Made in Occupied Japan, 1945-1952」を開催します。開催期間は2018年10月~2019年7月です。新しいシリーズ「Prange Staff Pick from the Exhibition」では、プランゲ文庫職員が特に気に入っている資料を詳しく紹介します。 日本では昔から「百聞は一見に如かず」と言います。読者の中には占領期について研究されている方も多く居られると思いますが、皆さんは実際に占領下日本の出版物や商品を目にした事がありますか? 戦後間もない昭和22年(1947年)2月20日にGHQは敗戦国日本に対して、日本からの輸出品には全て”Made in Occupied Japan”の印を付ける事を義務付けました。この政策は2年後の昭和24年(1949年)4月14日に廃止されましたが、中には”Made in Occupied Japan”の表記を占領が終わる昭和27年(1952年)4月まで続けた企業もありました。 Made in Occupied Japanの展示ケースは他の展示品とは異なり、違った角度から日本占領期について知る事が出来ます。今回の展示では主に検閲を受けた出版物を紹介していますが、こちらのケースでは商品とその裏に表記された”Made in Occupied Japan”を展示しています。この事から、占領軍の影響は出版業界に止まらず、工業界にも影響を及ぼしていた事が解ります。 更に、こちらの展示品では戦後間もない日本の経済復興についても垣間見る事が出来ます。太平洋戦争では連日の空爆によって、日本の工業は甚大な被害を受けました。しかし、戦争が終結すると日本における工業は復興の道を少しずつ歩み始めました。軽工業の復興によって日本経済は前進し、昭和25年(1950年)からは朝鮮戦争によって軽工業から重工業へと移り変わり、昭和40年代には世界に誇れる工業国家に進化していきました。 ******************************************************************** プランゲ文庫学生アルバイト 三浦徳祥

展示資料紹介:「W・F・マアクェット閣下のステートメント」

2018年10月中旬より当メリーランド大学ホーンベイク図書館Maryland Room Galleryにて、プランゲ文庫の展示「Crossing the Divide: An American Dream Made in Occupied Japan, 1945-1952」を開催します。開催期間は2018年10月~2019年7月です。今月から月に一度、ピックアップした展示資料の紹介を行います。展示資料シリーズはこちらからまとめてご覧頂けます。 「展示資料特集シリーズ」の七つ目は、野球雑誌「野球時代」(Prange Call No. Y42)に1949年4月に掲載された「W・F・マァクェット閣下のステートメント」を取り上げます。 これは米国ナショナル・ベースボール・コングレスのメンバーであったウィリアム・マァクェット氏(William Marquart)による寄稿です。この中でマァクェット氏は、アメリカのプロ・アマチュア野球にかかわる全ての人々が、日本における野球の発展を願っている、として次のように述べています。   これ等の人々は、米大陸に於ける隣接諸国と、極東にある諸国の間に、有効関係を再現するための方便として、国際野球のつながりが再開されることを心から期待しているのであります。” 先ず、ナショナル・ベースボール・コングレスでは、許される最も近い機會に、その國際優勝試合を日本に於て開催することを提案してきております。また幾多のプロ・ベースボール経営者らは、日本の野球ファンをもてなすために、よろこんで”オール・スター・ティーム”を連れて来るという申し込みを来ております。” このステートメントから6カ月後、サンフランシスコ・シールズの来日によって、この約束は守られました。 この資料はスペース関係上展示ケースには入れませんでしたが、オンライン展示にて公開しております。