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求人広告の日(7月14日)

7月14日は求人広告の日(日本)です。プランゲ文庫が所蔵する報道写真群に「一件もない求人申込 街頭進出の職業安定所」(6/29/[1948])という写真がありました。 記事によると、求人数が激減している現状をかんがみ、神田の職業安定所が街頭にて求人申し込みを呼びかけたものの、求人申し込みは一件もない有様。かわりに失業者が求職に集まる事態になった、とのことです。(サン報道写真, Call No. S191) 写真はクリックで拡大します。サン報道写真のリストはこちらからご覧頂けます。

全国安全週間

7月1日から一週間は「全国安全週間」。厚生労働省ウェブサイトによると、今年2017年は90回目の全国安全週間とのことです。 プランゲ文庫が所蔵する壁新聞に、1948年と1949年の全国安全週間に関するものがありました。(クリックで拡大します) まずは1948年6月発行の「安全衞生壁新聞 No.4」(日本産業福利協会発行)です。「全國安全週間始まる 職場を安全に健康に」という書き出しで始まるこのポスターは、職場の安全を保障するにはどのような事を心がけたらよいのだろうか、と問いかけます。また安全で健康な職場をつくるためには安全週間の間に大掃除をして心身ともに明るい職場を作ろう、と呼びかけています。     こちらは翌年1949年6月発行の「安全衞生壁新聞 No.13」(産業労働福利協会発行)です。民間検閲局(Civil Censorship Detachment – CCD)のスタンプによると、発行部数は2,000部。第二十三回目の安全週間を迎え「災害の数は、年によって消長がありますが、本當に安心して働ける職場になるのはまだまだです」と、更なる職場の安全確保を訴えています。ポスター下段では「事故の三大原因」として、「見ざる、聞かざる、言わざる」のフレーズを引用し「僕は見なかったんだ・僕は聞かなかったんだ・僕は知らなかったんだ」と書いています。 どちらのポスターも、画・構成は「榎本眞砂夫」とありました。これらの壁新聞はデジタル化されており、プランゲ文庫館内にてデジタル画像をご覧いただけます。閲覧をご希望の方は、こちらからお問い合わせください。

「マッカーサー」検閲

Censored Newspaper Articlesは、どのような記事が民間検閲局(CCD)の検閲官の目に留まり検閲処分に至ったのかを知る上で、非常に貴重な資料です。これらを通して見ていると、ダグラス・マッカーサー元帥を取り上げた記事が頻繁にHOLD処分を受けているのに気がつきます。 その中には日本の占領政策に対するマッカーサー元帥の考えに関するものもあります。例えば「講和の希望に燃える日本に適切な占領政策 マッカーサー元帥一九四八年の晴姿」と題された1947年12月22日の共同寫眞通信の記事は、「マッカーサー元帥が日本の民主化は満足すべき状態で進んでいる」と感じていると述べた部分がDelete(削除)処分を受けています。(Call No. 47-loc-1899) また1947年10月15日のAssociated Press World Service/日本経済新聞の記事は、米国が極東委員会(Far Eastern Committee)に打診した内容に関するもので、それらが「マッカーサー元帥の方針」とあり、マッカーサー元帥と書かれた箇所だけがDelete処分となっています。(Call No. 47-frn-1612) しかしCensored Newspaper Articlesの中にはマッカーサー元帥の名前は取り上げられているものの、記事の内容としては検閲処分を受ける理由がわかりかねるものもありました。例えば1947年10月9日のNippon Times及び読売新聞の記事は「マッカーサー元帥の従妹が結婚」との内容ですが、Suppress(発禁)処分を受けています。(Call No. 47-frn-1260, 47-frn-1261) また共同通信とAssociated Press(AP)が提出した、かつてマッカーサー元帥が住んだマニラホテルの5階がナイトクラブとして改装、という記事も同じくSuppress(発禁)処分を受けました。(Call No. 47-frn-1710) 他にもマッカーサー夫人が極東国際軍事裁判を傍聴している様子を写した写真が検閲処分を受けた例もありました。また読売新聞が中学生を対象にとったアンケートでも、マッカーサー元帥について触れた箇所が削除処分を受けていた例も以前に紹介しました。

寄贈資料の紹介: Lois Beno Photographs and Oral Histories

2014年4月、プランゲ文庫はLois Beno Photographs and Oral Historiesの寄贈を受けました。 ルイス・ビノ(Lois Beno)さんの夫は空軍に所属していましたが、占領期には陸軍に出向し福岡県にて対敵諜報部隊(Counter Intelligence Corps)の指揮をとることになりました。ルイスさんと子ども達は1947年に日本に渡り、最初は久留米市、その後福岡市に滞在することになります。 今回の寄贈は、ルイスさんのお孫さんにあたるIrish JordanさんがLoisさんから譲り受けた一冊の漫画についてプランゲ文庫に連絡をされたことから始まりました。ルイスさんが占領期に日本に滞在していたことを知ったプランゲ文庫職員がインタビューを依頼。ルイスさんの娘さんがインタビューを行い、その音源及びルイスさんが所蔵していた写真類がプランゲ文庫に寄贈されました。 Lois Beno Photographs and Oral Historiesは、写真32枚、説明文付き写真15枚、インタビュー、日本のしきたりなどについての文書3枚で成り立ちます。 資料はまだ未整理段階ですが、プランゲ文庫館内にて閲覧をご希望の方はprangebunko[at]umd.eduまでご連絡ください。

雑誌特集:福島県で出版された雑誌

2015年3月より、約5,300点(約700タイトル)のプランゲ文庫所蔵雑誌が国立国会図書館のデジタルコレクションにて閲覧可能(館内閲覧限定)となりました。これらの雑誌を今後当ブログにてシリーズとして紹介していきます。シリーズ記事の一覧はこちらからご覧頂けます。 シリーズ第八回目の今回は、福島県で発行された雑誌を数点紹介します。 讀書タイムス. 図書交換と紹介趣味機関. [2・3号(1946年9月)] (Call No. D-264) 「讀書タイムス」は明朗建設社文化部読書グループが発行した、縦15cmで印刷も不鮮明な小さな冊子です。発行地は福島県坂下町とあります。副題のとおり、図書や雑誌の交換を呼びかける「掲示板」としての役割を主な目的としています。例としては「映画之友昭和8-15年迄美本多数(数十冊有)各冊〒別五円で譲る 早勝ち!乞御注文!」などの投稿がありました。   ちまき. 俳句雑誌. [17巻9号(1946年9月)-20巻8号(1949年8月)] (Call No. C-108) 月間俳句雑誌「ちまき」は昭和5年に創刊され、昭和24年6月号(通巻第233号)は二十周年記念特集を組んでいます。内容は主に会員の投稿俳句や俳句関連イベントの案内・報告などです。 大地. [1号(1949年7月)] (Call No. D-7) 団報. [4号(1949年1月)] (Call No. D-76) 「大地」は、白河市の白河農業高等学校出版部が発行した生徒会会報です。最初のページでは主筆の生徒会長が「眞の民主的な理想の『生徒の、生徒に依る、生徒のための学校』なる生徒会の新聞として誕生」と、創刊にあたっての意気込みを述べています。 「団報」は福島県南會津朝日村の朝日村青年団によって発行されました。「お知らせ」というページでは、玄人素人を問わず演劇を上演する際には仙台にある演芸放送検閲部映画演芸課に脚本を提出し検閲を受けなければいけない、と会員に忠告しています。このページは「Reference to Censorship」として検閲処分(Violation – 表紙にはdisapprovedとあり)を受けたことが、民間検閲局(CCD)が残した英語文書によって見て取れます。

1948年5月26日

Censored Newspaper Articles紹介の一環として、1948年の今日、5月26日に民間検閲局(CCD)へ提出された文書を紹介します。 1948年5月26日共同通信が、島根県の三瓶山近郊にて日本一、二を争う大きさのラジウム鉱泉が発見されたとの記事(日本語手書き原稿タイトル「すごいラジウム鉱泉発見」)を民間検閲局(CCD)に提出し、発禁(Suppress)処分を受けました。(Prange Call No. 48-loc-1770) 記事によると、広島にて被爆した患者がこの地で温泉に入ったところ傷が治り髪の毛も生えてきたという報告があったとのことです。これを受け岡山大学の教授が調査に乗り出し、この地におけるラジウム含有量が非常に高いことが判明したとあります。その後九州大学や京都大学の教授も調査に加わり、動物試験を経て効果が実証されたそうです。この記事が発禁処分になった理由は記されていません。 日本語手書き原稿のデジタル画像は、当文庫館内および国立国会図書館デジタルコレクションにて閲覧いただけます。

寄贈資料の紹介: ジャスティン・ウィリアムス・ペーパー 追加資料

ジャスティン・ウィリアムス・シニア(Justin Williams Sr.)は、1946年から1952年までSCAP民政局課長を務めました。ジャスティン・ウィリアムス・ペーパー(Justin Williams Sr. Papers)は、第二次世界大戦後の日本における議会、政治、そして憲法に関する変動を研究する上で欠かせない資料と言えます。 プランゲ文庫は2016年、ジャスティン・ウィリアムス・ジュニア氏(ジャスティン・ウィリアムス・シニア氏の息子)より、追加資料として図書や写真などを新たにご寄贈頂きました。その中から今日は「Tokyo, fall of 1945: 東京一九四五年・秋」(東京 : 文化社, 昭和21 [1946])と「Jeeper’s Japan」Frances Baker著(東京: Toppan, 1949)を紹介します。