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教育図書特集: 「社會への旅 後篇」

2015年8月より、当文庫は教育図書のデジタル化を開始しました。デジタル化が終了した教育図書の中から興味深い資料をシリーズとして紹介していきます。 今回は「社會への旅 後篇」(Call No. 435-0016v_3)を取り上げます。 「社會への旅 前篇、中編、後篇」(奈良市: 奈良文庫, 1947)は、奈良文庫編集の社会科讀本です。後篇の第七章「大和の國」は県庁の役割に言及しており、35~37ページには奈良県庁の平面図が掲載されています。この説明文に「軍事裁判事務所(M.P.)」と書かれた箇所があります。この箇所について民間検閲局(CCD)の検閲官が「これは占領軍関係者が滞在する場所を示すのでDelete処分にするべき」と文書に書き残しています。ただし表紙にはOKと読める書き込みがあり、実際にDelete処分を受けたかどうかは不明です。 Advertisements

占領期における、米兵と日本女性の交際:第三回

[本記事は、渡辺二幸[わたなべ にこう](2016-2017年学生アルバイト)による寄稿です] 米兵と日本人女性の交際を描いたが為に検閲処分を受けた出版物をブログ記事全三回に亘って紹介します。第一回と第二回もご覧ください。今回が最終回です。 トップ「テンポラリー・ワイフ」 昭和21年5月発行の「トップ」には前回紹介した「千恵子の御難」だけでなく「テンポラリー・ワイフ」という記事もありました。「テンポラリー・ワイフ」は、米兵が日本にいる間に日本女性を内妻として「購入できるサービス」についての記事でした。占領期に米兵が売春を行なうことは禁止されていましたが、実際には米兵と日本人女性間の売春行為は広く行なわれていました。売春についての記事は、民間検閲局(CCD)によって「治安妨害」の理由で検閲処分を受けることが多くありました。「テンポラリー・ワイフ」も発禁処分を受けています。 CCDの検察官が残した文書を見ると、発禁処分の理由は「治安妨害」と「連合国への批判」である、と書かれています。例えば記事の中で不適切と書かれている箇所には「70ドルでテンポラリーワイフが購入できる」とありました。CCDの文書は、この記事は「大変嫌悪感を抱く」内容で「扇情的」で「教育的価値が無い」と厳しく批判しています。また米兵の日本での行動を否定的に捉えているため、読者が憤慨しSCAPへ反感をつのらせる可能性があると考えられたために全文発禁となったと思われます。CCD文書には「米兵の行動に対し誤解が生じる」と書かれています。 日本占領期、米国とその占領政策に対し日本人がなるべく好意的な感情を抱くようにすることは、SCAPの優先項目でした。米兵と日本人女性の交際は占領に対する疑問や不満が生まれ出る原因になると考えられ、そのため占領初期の4年間は交際が公式には禁止されていました。しかし実際には米兵と日本人女性間の交際は多く目撃されました。 全3回に亘って米兵と日本人女性間の交際に関する雑誌記事を紹介しました。この他にも関連雑誌記事は多く存在すると思われます。ご興味があれば、是非プランゲ文庫の資料を利用してほしいと思います。 参考文献一覧 エリザベス・ダグラス(2013)「『Sleeping with the Enemy』~戦争花嫁と連合国日本占領~」, pp. 1-96. [online] https://scholarship.tricolib.brynmawr.edu/bitstream/handle/10066/12996/2013DouglasE_thesis.pdf?sequence=1. ジョン・ダワー(2000)『敗北を抱きしめて~第二次大戦後の日本人~』, New York: W.W. Norton & Co./New Press. マーク・マックレランド(2012)「占領下日本における性と検閲」『亜細亜太平洋月刊誌』, 10(37), 6th ser., pp. 1-29. [online] http://apjjf.org/2012/10/37/Mark-McLelland/3827/article.html

占領期における、米兵と日本女性の交際:第二回

[本記事は、渡辺二幸[わたなべ にこう](2016-2017年学生アルバイト)による寄稿です] 米兵と日本人女性の交際を描いたが為に検閲処分を受けた出版物をブログ記事全三回に亘って紹介します。第一回はこちら。 トップのゴシップ記事「千恵子の御難」 昭和21年5月に発行された「トップ」という雑誌には、竹下千恵子という日本人のダンサーについてのゴシップ記事が見られます。ゲラによると、記事タイトルは「千恵子の御難」となる予定だったようです。記事の前半は千恵子のアメリカへの旅行と日本への帰国について書かれています。記事によると、川上クラークという千恵子の婚約者は米軍中尉として日本に来たようです。しかし米兵と日本人女性の結婚が禁止されていたので、千恵子とクラークは計画通りには結婚できませんでした。記事の後半は千恵子のダンサーとしての人生について書かれています。 千恵子の結婚がかなわなかったことに関する記述は「治安妨害」として検閲処分の対象となりました。そして記事のタイトルを「千恵子の御難」から「千恵子気を吐く」に変更するように指示されます。結果、千恵子のダンサーとしての人生についての段落は編集せずに出版されましたが、アメリカへの旅行や結婚の予定などについての段落は全て削除となりました。 これは、結婚の禁止が不公平に見えるのではとCCDが懸念したことが検閲処分につながったと考えられます。千恵子はアメリカでクラークに出会い、日本に来る前から既に結婚する予定だったと思われ、またクラークの苗字から彼は日系アメリカ人だと推測できます。この記事のゲラには、結婚できないと気づいた千恵子の悲しみが強く現れています。クラークがGIとして来日し会った際の千恵子の目の輝き、そして彼と結婚できないと知ったときのため息などロマンチックなタッチでこの記事は書かれています。 このような感情的な記事が、米兵と日本女性との交際禁止というSCAPの方針に悪影響を及ぼすとCCDは考えたのかもしれません。CCDはこのゴシップ記事から、クラークに関する一切の言及を削除しました。

占領期における、米兵と日本女性の交際:第一回

[本記事は、渡辺二幸[わたなべ にこう](2016-2017年学生アルバイト)による寄稿です] 日本占領期、米兵と日本人の交際は連合国軍最高司令官総司令部(Supreme Commander of the Allied Powers・SCAP)によって禁止されていました。またSCAPの方針により、米兵が日本人売春婦と関係を持つ事は法律上禁止されていました。これらの事情から、米兵と日本人女性間の結婚は困難を極めました。この状態は1949年にSCAPが正式に交際を許可するまで4年間続きました。外国籍の米兵配偶者がアメリカの国籍が取得できるようになったのは、1952年にマッカラン=ウォルター法が定められてからとなります。1947年~1965年の間に、約5万人の日本人の女性が「戦争花嫁」としてアメリカに移住したと言われています。(ダグラス・2013年) 民間検閲局(Civil Censorship Detachment・CCD)は米兵と日本人女性の交際を題材として取り上げた出版物の検閲を厳しく行ないました。(ダワー・2000年・p. 411.)米兵と日本人女性の交際を描いたが為に検閲処分を受けた出版物を、ブログ記事全三回に亘って紹介します。 新漫画「スプリングガール」 雑誌「新漫画」(昭和21年6月号)のゲラには、日本人の若い女性が二人公園で会話している「スプリングガール」という漫画がありました。背景には米兵と日本人女性のカップルが二組見えます。しかしCCDが残した文書によると「米兵が日本人女性を抱きしめている漫画」が「米兵の行動についての誤解を生み出す可能性がある」及び「米兵への偏見が生じるかもしれない」という理由で、CCDは背景のカップル二組の削除を命令したようです。結局出版された漫画には、前の二人の女性しか描かれていません。

1947年8月13日 石川達三「望みなきに非ず」

Censored Newspaper Articles紹介の一環として、1947年の今日、8月13日に民間検閲局(CCD)へ提出された文書を紹介します。 1947年8月13日読売新聞が、石川達三の「望みなきに非ず」の一部を民間検閲局(CCD)に提出し一部削除(Delete)処分を受けました。(Prange Call No. 47-loc-0575) 日本語ゲラから、Delete処分になった箇所を抜粋します。 「昔の強盗は生活苦でやつた。今の強盗は主義主張でやるらしい。」 「わたしアメリカの進駐軍を見るたびに考えるんですよ。羨しいほどつやつやして若々しくて大股にどしどし歩いてるでしよう。やつぱり食べ物が良いのよ。」 下記の画像はCCDが残した文書です。 日本語ゲラのデジタル画像は当文庫館内および国立国会図書館デジタルコレクションにて閲覧いただけます。 石川達三と検閲に関しては、2015年に岩波書店から出版された「戦争と検閲:石川達三を読み直す」(河原理子著)が詳しいです。以前にブログで紹介しましたのであわせてご覧ください。

長崎日日

Censored Newspaper Articles(CNA)は、新聞記事の棒ゲラや民間検閲局(CCD)によって書かれた文書がまとめて残されているケースが多いです。しかしCCD文書だけが残されており、実際の新聞記事は出版されたものを照会しないと記事内容がはっきりとはわからないものもありました。今日紹介する「長崎日日」の記事もその一例です。(Call No. 48-dis-0332) 左の文書は、長崎日日の記事(1948年7月31日付、九州版)が「Reference to Censorship」のために「disapproved」処分を受けた事を示すCCD文書です。「The outline of Atomic Diseases by Prof. Takashi NAGAI will be published by the SHOWA-SYOBO Bookstore as a nbook of 250 pages as soon as it passes censorship.」の下線部が検閲に引っかかりました。 さて実際の新聞記事がこちらには同封されてなかったので、新聞コレクションの「長崎日日」同日紙を当たってみました。該当記事は「著作に没頭の永井氏 – 寸暇をさいて式場氏見舞いに」という記事でした。著作の清書に病床から取り組む永井隆氏の自宅に、式場隆三郎が見舞いにやってきたという内容です。最終段落は「なお目下清書しつつある”原子病概論”は八月九日までに式場氏の下に送付され、検閲許可あり次第昭和書房から二百五十頁の單行本として公にされる豫定」とあり、CCD文書にある通り「検閲許可有り次第」という箇所に赤字でチェックが入っています。 ここでCNAのCCD文書に戻ってみると、検閲処分を記した箇所に「Post-censored」(事後検閲)と書かれています。全面印刷されたものがある事(左は同紙の一面部分)からも、既に発行された後にこの記事についてCCDから注意が入った、と考えられます。ただし一刷目で検閲処分となり、その後別刷や別版で記事文章を変更したかどうかは不明です。 全ての画像はクリックで拡大します。

1948年8月6日

1948年の今日8月6日の中国新聞一面記事「世界に響け平和の鐘: NO MORE HIROSHIMAS」は、次の一文から始まります。 「廣島の空を覆つた原子雲が去り晴れるとき、廣島市民は悲しみと苦惱のドン底から平和への途が開かれることを願いもとめた、あれから満三年、きょう八月六日は世界の人たちが記念する平和デーとなつて暦のうえをかざる日となった」 記事はこの日広島県各地で慰霊祭が予定されている一方で平和祭典も催されることに触れ、これこそ「きょう平和祭のもつ深味」であり「廣島市民の心の幅の廣さでもある」と評価しています。 翌日8月7日の同紙は前日の平和式典の様子がわかる写真を、「平和きっと廣島から」の題字と共に一面に掲載しました。また、英連邦軍総司令官ロバートソン中将が式典で読み上げた、マッカーサー元帥からの伝言も掲載されています。 抜粋「マッカーサー元帥は廣島の市民諸君に心からなる御あいさつを送り、かつ諸君が復興を着々遂行されつつあることに對し祝意を表されました」   また8月6日の紙面にはこんな記事もありました。「あの日生れたただひとり : 街の人氣者ピカ子ちゃん」は、1945年8月6日、原子爆弾が落ちた後の広島市内で生まれた子どものうち、唯一元気に育っているという富田博子ちゃんの紹介です。ニックネームは「ピカ子ちゃん」で街の人気者。最近では在日英連邦軍の日刊新聞BCON紙(British Commonwealth Occupation News)の記者もインタビューにきたそうです。 全ての画像はクリックで拡大します。