Treasures

1947年5月22日

Censored Newspaper Articles紹介の一環として、1947年の今日5月22日に民間検閲局(CCD)へ提出された文書を紹介します。 1947年5月22日、朝鮮新聞が「建青の使命」と題された記事を民間検閲局(CCD)に提出しました。(Prange Call No. 47-loc-0215) 日本語の手書き原稿によるとこの記事は「朝鮮建国促進青年同盟」のメンバーによって書かれたもので、「平和と自由の朝鮮建設のため」「我等は之を身を以て実践し得るばかりでなく、同胞を指導し得る実力ある朝鮮青年とならう」と読者に呼び掛けています。日本語手書き原稿およびCCDの残した英文文書によると、この記事の「序論」、「建青建国運動の基本方針(目標の確定)」、「目的達成への方途」の3章で数か所Delete(削除)処分を受けたようです。 日本語の手書き原稿のデジタル画像は、当文庫館内および国立国会図書館デジタルコレクションにて閲覧いただけます。 Advertisements

5月15日: 市川房枝(1893-1981)誕生日

今日5月15日は、市川房枝(1893-1981)氏の誕生日です。これを記念して当文庫が所蔵する市川房枝の著作「新しき政治と婦人の課題」( 東京 : 印刷局, 昭和21 [1946]) [Prange Call No. HQ-0400]を紹介します。 本書は、公民叢書シリーズとして社会教育連合会が編纂した全40ページの小冊子です。本文前に掲載されている略歴によると市川房枝氏は、第二次世界大戦前から婦人運動に深く関わり、1946年時点では新日本婦人同盟会長として活躍している、とのことです。 「新しい政治と婦人の課題」で市川氏は、婦人参政権を中心として戦後女性が政治において担う役割についてわかりやすい言葉で説明しています。日本における婦選運動をはじめとし、日本婦人の地位、そしてその問題点にも触れています。最後には、自身が会長を務める新日本婦人同盟の目標を掲載しています。

労働関係資料: ポスター

現在メリーランド大学ホーンベイク図書館では、Special Collections and University Archivesが所蔵する労働関係資料を使った展示「For Liberty, Justice, and Equality: Unions Making History in America」が開催されています。(開催期間は2017年9月~2018年7月)。これを受け、プランゲ文庫が所蔵する労働関係資料をブログで紹介していきます。シリーズ記事の一覧はこちらからご覧頂けます。 今日はポスター資料群の中から、農業復興会議・農業協同組合組織協力本部が発行した「農民かべしんぶん」を紹介します。 第1号は「今度こそ俺らが組合おらが手で」と題され、農業協同組合を「働く農民が働く農民のためにつくるのだ!」と声をあげています。そして農業復興会議の使命の一つとして「農村の民主化」「農民の解放」を謳っています。「民主勢力」と書かれた手が「悪徳地主」「反動分子」「悪徳官僚」といった「害虫」を葉から取り除いている絵が印象的です。     1948年7月に発行された第五号では農林復興金庫や供出と税金の免除を提唱し、開拓者に資金と資材の提供を呼び掛けます。徴税に対しても、農民の団体交渉の承認を要求しています。また農業恐慌が迫り寄っていると注意を呼びかけ、協同組合など団体の力で危機を突破しよう、と組合人に強く呼びかけます。 1948年10月の第七号では盗難や火災で財産を失わないために、農業協同組合に貯金をすることを勧めています。また、この号では農業協同組合が今後バッジや旗に使用する徽章を募集しており、賞金は一等一万円とのことです。ここで「農民は一人残らず農業協同組合人となるでしょう」と書いています。   画像をクリックすると拡大してご覧いただけます。またこれらのポスターはデジタル化されており、プランゲ文庫館内にて閲覧頂けます。

5月1日:メイデ―

現在メリーランド大学ホーンベイク図書館では、Special Collections and University Archivesが所蔵する労働関係資料を使った展示「For Liberty, Justice, and Equality: Unions Making History in America」が開催されています。(開催期間は2017年9月~2018年7月)。これを受け、プランゲ文庫が所蔵する労働関係資料をブログで紹介していきます。シリーズ記事の一覧はこちらからご覧頂けます。 今日5月1日はメイデーです。プランゲ文庫は1949年のメイデーに関するポスターを2枚所蔵しています。 こちらは日本かべ新聞社が1949年3月28日に発行した「週刊われらの娯楽版 」の29号です。「第20回メーデーへ!」と題されたこのポスターでは、労働者の生活を圧迫する低賃金や強制徴税などに一丸となって立ち向かう労働者を描いています。 2枚目も同じく「週刊われらの娯楽版」の30号(1949年4月4日発行)で、こちらもタイトルは「第20回メーデーへ!!」です。このポスターでは労働者によって弾劾される吉田茂首相を描いています。「首相閣下!この凄いメーデーのデモをご覧下さい」と言われた吉田首相の返答は「ウーム。早速非メーデー委員会をつくらにゃ」とあります。 画像をクリックすると拡大してご覧いただけます。また、どちらのポスターもデジタル化されたものをプランゲ文庫館内にてご覧いただけます。

映画特集 : “ミネソタの娘/Farmer’s Daugther” (1947)

プランゲ文庫は多数の映画関連資料を所蔵しています。今日3月4日の夜はアカデミー賞授賞式ということで、今日は1948年にアカデミー賞を獲得した“Farmer’s Daugther” [日本語タイトル: ミネソタの娘]に関する資料を紹介します。 1948年3月に開かれた第20回アカデミー賞では、「ミネソタの娘/The Farmer’s Daughter」にてカトリン・ホルストローム(Katrin Holstrom)を演じたロレッタ・ヤング(Loretta Young)が主演女優賞を獲得しました。チャールズ・ビックフォード(Charles Bickford)も助演男優賞にてノミネートされていましたが、「三十四丁目の奇蹟」のエドマンド・グウェン(Edmand Gwenn)が受賞しました。 「ミネソタの娘」は、カトリンが看護師になる為に実家を出ることから始まります。カトリンは途中、経済的援助を受けるために政治的に非常に大きな力を持つ一家のメイドとなります。その後カトリンは思わぬ形でその一家の政治活動にかかわってしまい、自身が候補者として選挙戦に出馬することになります。 こちらはプランゲ文庫が所蔵する図書「ミネソタの娘/The Farmer’s Daughter”」です。(國際出版社, 1948) [Prange Call No. PN-0227] 下記の最初の画像では、キャスト一覧が英語と日本語で掲載されています。次のページは、カトリンが他の候補者の記録を調べる場面です。全ページ、英語台本の隣に日本語訳が付けられています。最後の2ページでは、英語のスラングや口語的表現などに関する注釈が掲載されています。 「ミネソタの娘」は既にデジタル化されており、プランゲ文庫及び国立国会図書館デジタルコレクションにて館内限定で閲覧が可能です。 また、「ミネソタの娘」を取り上げた雑誌記事もいくつかありました。以下は一例です。

第二次世界大戦後における日本の結核

[本記事は、福永亜美(2017年秋学期学生アルバイト)による寄稿です]  結核とは結核菌によって引き起こされる感染症のことです。 結核菌は結核感染者の咳やくしゃみを通して空気中に飛び散り、それを吸い込んでしまうことで周りの人が感染します。結核の初期症状は咳、痰、微熱、寝汗、疲労感等、風邪の症状に類似しており見過ごしてしまう人も数多くみられます。風邪とは違う特徴として、これらの症状が長期にわたって続くことがあげられ、さらに結核が進行すると、息切れ、痰血、喀血、体重減少などの症状が見られます。そして結核は最悪死に至る疾患でもあります。 結核は明治時代から昭和20年代にかけて、日本における死亡率のトップを占め「国民病」、「不治の病」などと呼ばれ人々に恐れられていた病気でした。 また、戦争における過労、不衛生環境、栄養不足等の悪条件は人々の免疫力を低下させるため、戦争中の結核感染率また死亡率は上昇する傾向にありました。事実、第一次世界大戦中の日本では結核死亡率が急上昇したことが記憶されています。「日本の結核」宮本忍著 (朝日新聞社, 1948) (Prange Call No. 200-055)の表参照。 第二次世界大戦中(昭和14年-20年)の結核死亡率は戦争によって統計局の資料が一部焼失したため明確ではありませんが、第二次世界大戦後、生活水準の向上とともに日本は結核感染率且つ死亡率を著しく減少させることに成功したのです。 昭和24年に発行された「結核の諸統計」によると昭和22年における日本での結核死亡者は146,786人で、戦前の昭和10年の統計データと比較すると全体的な結核死亡率はさほど変わらないことが伺えます。しかし、年齢別統計データによると、昭和22年における5-24歳群の結核死亡率が昭和10年に比べると著しく減少しています。この時代、日本では青年の病気といわれるほど、若年群における結核感染率且つ死亡率は高かっため、戦後直後の若年群の結核死亡率減少は結核問題を解決するに当たって大きな一歩ともいえたでしょう。「結核の諸統計」吉岡博人著 (東西醫學社, 1949) (Prange Call No. 199-039)参照。 第二次世界大戦後の若年群の結核死亡率減少理由として、一般民衆の結核予防に関する知識向上、集団検診、結核菌感染診断の普及などがあげられます。 事実、プランゲ文庫に保管されている書物の多くから第二次世界大戦後の一般民衆の結核予防に関する知識向上の推進の動向がみられます。 昭和24年に赤十字保険新書として発行された「結核の正しい療養」近藤宏二著 (二宮書店, 1949) (Prange Call No. 229-061)によると、今の時代、結核はただ医師に治してもらう病気ではなく、結核の正しい知識を得ることで自分の力で治す努力を必要とする病気であると唱えています。 このように、第二次世界大戦後、多くの日本国民が結核の知識を得ることで結核予防や治療に向き合ったように、いつの時代も病気に関する幅広い知識を得ることは病気と闘う上でとても重要なことなのです。

雑誌特集:石川県で出版された雑誌

2015年3月より、約5,300点(約700タイトル)のプランゲ文庫所蔵雑誌が国立国会図書館のデジタルコレクションにて閲覧可能(館内閲覧限定)となりました。これらの雑誌を今後当ブログにてシリーズとして紹介していきます。シリーズ記事の一覧はこちらからご覧頂けます。 シリーズ第十二回目の今回は、石川県で発行された雑誌を数点紹介します。 超然. [53号(1948年10月)].  (Call No. C-182) 金沢の第四高等学校時習寮の学生が発行した「超然」の第53号(1948年10月号)をプランゲ文庫は所蔵しています。論文、詩、短歌、俳句などが並び、50ページ未満のごく一般的な学生雑誌と言えます。しかし民間検閲局(CCD)の検閲官は内容に厳しく目を光らせていたことが、残された文書から見て取れます。一枚の検閲文書には「この雑誌を出版した学生は共産党に傾倒しかけているのではないか」と懸念を示す一文が残されています。 断崖. [1号(1948年7月)]. (Call No. D-88) 同じく学生雑誌の「断崖」は、金沢三高文芸部が1948年に発行したものです。プランゲ文庫には創刊号のみ残っており、続刊の有無は不明です。近隣の古本屋や眼鏡店の広告も掲載されており、出版にあたる経済的援助を受けたのでしょうか、表紙は2色刷りで本文の印刷もしっかりとしている印象です。内容は評論、創作エッセイ、詩、短歌などです。民間検閲局による文書も残っていますが、特に検閲処分を受けた形跡はありません。 怒涛. [7号(1949年3月)-8号(1949年7月)]. (Call No. D-316) 「怒涛」は石川県庁職員組合が発行した雑誌です。職員が自身の仕事と関係のある内容の投稿をしているものもあれば、ペンネームで面白いエッセイなどを掲載しているものもあり、バラエティに富んだ雑誌です。例えば第七号では公衆保健課の職員数名が「婦人と食生活」や「「メランコリー」はカルシウム不足」といった内容の論文を書いている一方で、第八号では「新祭日「老年の日」」と題された風刺漫画が掲載されています。