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チャールズ・L・ケーディス・ペーパーをオンライン公開しました。

寄贈資料のひとつ、チャールズ・L・ケーディス・ペーパーをデジタル化し、Internet Archive上でオンライン公開しました。資料のダウンロードも可能です。是非ご覧ください。

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講演会のお知らせ: Jonathan Bull教授(北海道大学)

2017年9月7日(木)午後12時半から1時半、メリーランド大学のFrancis Scott Key Building 2120号室において、今年度の20世紀ジャパン・リサーチ・アワードの受賞者であるJonathan Bull氏(北海道大学)による講演会を開催いたします。講演会のタイトルは“Settling the unsettled: history and memory in the construction of the Karafuto repatriate”です。

この講演会はメリーランド大学図書館と Nathan and Jeanette Miller Center for Historical Studies の共催です。講演会は当大学の学生や職員、そして一般の方々に無料公開されており、事前にご連絡頂ければ昼食を用意します。昼食をご希望の方は、millercenter@umd.eduへご連絡ください。

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プランゲ文庫の資料から見る「古橋廣之進 – フジヤマのトビウオ」

古橋廣之進(ふるはし ひろのしん, 1928 – 2009)は、1949年8月にロスアンゼルスで行なわれた全米選手権に参加し、自由形で世界新記録を樹立、「フジヤマのトビウオ(The Flying Fish of Fujiyama)」と呼ばれ脚光を浴びました。当時の新聞はもちろん、雑誌や児童書など様々なメディア媒体が古橋選手の活躍を克明に記録しました。これらの資料からは、古橋選手を心から応援する当時の国民の声が聞こえてくるようです。下記は関連資料の一例です。

報道写真

ロスアンゼルスに出発前の古橋選手らの様子を写した写真が、サン報道写真群の中にありました。

児童書

雑誌

  • 「世界記録をはぐくんだ母:水の王者・古橋広之進にきく「わが母の記」」- 婦人の国 , vol. 1, no. 8, Oct/Nov 1947, pp. 17-19.  婦人の国社発行 (Call No. F-75)
  • 「古橋廣之進さんにきく:水泳のおはなし」- 子供の時間, vol. 2, no. 7, July 1948, pp. 14-15. (Call No. K-1339)

新聞

  • 「ミソしるから生れた古橋らの大記録: 米スポーツ記者論評」- 中国警察新聞 9/15/1949 (Call No. NC0392)
  • 「双肩に水上日本: 海外遠征實現か: 古橋選手」- 中国新聞 1/8/1948 (Call No. NC0408)

Censored Newspaper Articles

Censored Newspaper Articlesには毎日・読売の電光ニュース原稿が含まれ、その中に古橋選手らの様子を伝えるものがありました。またハワイ在住の水泳関係者から、古橋選手をハワイに招待したいという打診があった旨を伝える朝日新聞及び共同通信記事が、全文保留の後に検閲を通過(Pass)しています。(朝日新聞9/17/1947付, Call No. 47-loc-0825; 共同通信 9/18/1947, Call No. 47-loc-0834)

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プランゲ文庫資料の閲覧場所が変わります

2017年8月28日より、プランゲ文庫の所蔵資料はホーンベイク図書館北館1階のメリーランドルーム(Maryland Room)にてご利用いただけるようになります。

ご質問があればこちらからお問い合わせください。

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1947年8月13日 石川達三「望みなきに非ず」

Censored Newspaper Articles紹介の一環として、1947年の今日、8月13日に民間検閲局(CCD)へ提出された文書を紹介します。

1947年8月13日読売新聞が、石川達三の「望みなきに非ず」の一部を民間検閲局(CCD)に提出し一部削除(Delete)処分を受けました。(Prange Call No. 47-loc-0575) 日本語ゲラから、Delete処分になった箇所を抜粋します。

「昔の強盗は生活苦でやつた。今の強盗は主義主張でやるらしい。」

「わたしアメリカの進駐軍を見るたびに考えるんですよ。羨しいほどつやつやして若々しくて大股にどしどし歩いてるでしよう。やつぱり食べ物が良いのよ。」

下記の画像はCCDが残した文書です。

日本語ゲラのデジタル画像は当文庫館内および国立国会図書館デジタルコレクションにて閲覧いただけます。

石川達三と検閲に関しては、2015年に岩波書店から出版された「戦争と検閲:石川達三を読み直す」(河原理子著)が詳しいです。以前にブログで紹介しましたのであわせてご覧ください。

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長崎日日

Censored Newspaper Articles(CNA)は、新聞記事の棒ゲラや民間検閲局(CCD)によって書かれた文書がまとめて残されているケースが多いです。しかしCCD文書だけが残されており、実際の新聞記事は出版されたものを照会しないと記事内容がはっきりとはわからないものもありました。今日紹介する「長崎日日」の記事もその一例です。(Call No. 48-dis-0332)

左の文書は、長崎日日の記事(1948年7月31日付、九州版)が「Reference to Censorship」のために「disapproved」処分を受けた事を示すCCD文書です。「The outline of Atomic Diseases by Prof. Takashi NAGAI will be published by the SHOWA-SYOBO Bookstore as a nbook of 250 pages as soon as it passes censorship.」の下線部が検閲に引っかかりました。

さて実際の新聞記事がこちらには同封されてなかったので、新聞コレクションの「長崎日日」同日紙を当たってみました。該当記事は「著作に没頭の永井氏 – 寸暇をさいて式場氏見舞いに」という記事でした。著作の清書に病床から取り組む永井隆氏の自宅に、式場隆三郎が見舞いにやってきたという内容です。最終段落は「なお目下清書しつつある”原子病概論”は八月九日までに式場氏の下に送付され、検閲許可あり次第昭和書房から二百五十頁の單行本として公にされる豫定」とあり、CCD文書にある通り「検閲許可有り次第」という箇所に赤字でチェックが入っています。

ここでCNAのCCD文書に戻ってみると、検閲処分を記した箇所に「Post-censored」(事後検閲)と書かれています。全面印刷されたものがある事(左は同紙の一面部分)からも、既に発行された後にこの記事についてCCDから注意が入った、と考えられます。ただし一刷目で検閲処分となり、その後別刷や別版で記事文章を変更したかどうかは不明です。

全ての画像はクリックで拡大します。

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1948年8月6日

1948年の今日8月6日の中国新聞一面記事「世界に響け平和の鐘: NO MORE HIROSHIMAS」は、次の一文から始まります。

「廣島の空を覆つた原子雲が去り晴れるとき、廣島市民は悲しみと苦惱のドン底から平和への途が開かれることを願いもとめた、あれから満三年、きょう八月六日は世界の人たちが記念する平和デーとなつて暦のうえをかざる日となった」

記事はこの日広島県各地で慰霊祭が予定されている一方で平和祭典も催されることに触れ、これこそ「きょう平和祭のもつ深味」であり「廣島市民の心の幅の廣さでもある」と評価しています。

翌日8月7日の同紙は前日の平和式典の様子がわかる写真を、「平和きっと廣島から」の題字と共に一面に掲載しました。また、英連邦軍総司令官ロバートソン中将が式典で読み上げた、マッカーサー元帥からの伝言も掲載されています。

抜粋「マッカーサー元帥は廣島の市民諸君に心からなる御あいさつを送り、かつ諸君が復興を着々遂行されつつあることに對し祝意を表されました」

 

また8月6日の紙面にはこんな記事もありました。「あの日生れたただひとり : 街の人氣者ピカ子ちゃん」は、1945年8月6日、原子爆弾が落ちた後の広島市内で生まれた子どものうち、唯一元気に育っているという富田博子ちゃんの紹介です。ニックネームは「ピカ子ちゃん」で街の人気者。最近では在日英連邦軍の日刊新聞BCON紙(British Commonwealth Occupation News)の記者もインタビューにきたそうです。

全ての画像はクリックで拡大します。