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長崎日日

Censored Newspaper Articles(CNA)は、新聞記事の棒ゲラや民間検閲局(CCD)によって書かれた文書がまとめて残されているケースが多いです。しかしCCD文書だけが残されており、実際の新聞記事は出版されたものを照会しないと記事内容がはっきりとはわからないものもありました。今日紹介する「長崎日日」の記事もその一例です。(Call No. 48-dis-0332) 左の文書は、長崎日日の記事(1948年7月31日付、九州版)が「Reference to Censorship」のために「disapproved」処分を受けた事を示すCCD文書です。「The outline of Atomic Diseases by Prof. Takashi NAGAI will be published by the SHOWA-SYOBO Bookstore as a nbook of 250 pages as soon as it passes censorship.」の下線部が検閲に引っかかりました。 さて実際の新聞記事がこちらには同封されてなかったので、新聞コレクションの「長崎日日」同日紙を当たってみました。該当記事は「著作に没頭の永井氏 – 寸暇をさいて式場氏見舞いに」という記事でした。著作の清書に病床から取り組む永井隆氏の自宅に、式場隆三郎が見舞いにやってきたという内容です。最終段落は「なお目下清書しつつある”原子病概論”は八月九日までに式場氏の下に送付され、検閲許可あり次第昭和書房から二百五十頁の單行本として公にされる豫定」とあり、CCD文書にある通り「検閲許可有り次第」という箇所に赤字でチェックが入っています。 ここでCNAのCCD文書に戻ってみると、検閲処分を記した箇所に「Post-censored」(事後検閲)と書かれています。全面印刷されたものがある事(左は同紙の一面部分)からも、既に発行された後にこの記事についてCCDから注意が入った、と考えられます。ただし一刷目で検閲処分となり、その後別刷や別版で記事文章を変更したかどうかは不明です。 全ての画像はクリックで拡大します。 Advertisements

1948年8月6日

1948年の今日8月6日の中国新聞一面記事「世界に響け平和の鐘: NO MORE HIROSHIMAS」は、次の一文から始まります。 「廣島の空を覆つた原子雲が去り晴れるとき、廣島市民は悲しみと苦惱のドン底から平和への途が開かれることを願いもとめた、あれから満三年、きょう八月六日は世界の人たちが記念する平和デーとなつて暦のうえをかざる日となった」 記事はこの日広島県各地で慰霊祭が予定されている一方で平和祭典も催されることに触れ、これこそ「きょう平和祭のもつ深味」であり「廣島市民の心の幅の廣さでもある」と評価しています。 翌日8月7日の同紙は前日の平和式典の様子がわかる写真を、「平和きっと廣島から」の題字と共に一面に掲載しました。また、英連邦軍総司令官ロバートソン中将が式典で読み上げた、マッカーサー元帥からの伝言も掲載されています。 抜粋「マッカーサー元帥は廣島の市民諸君に心からなる御あいさつを送り、かつ諸君が復興を着々遂行されつつあることに對し祝意を表されました」   また8月6日の紙面にはこんな記事もありました。「あの日生れたただひとり : 街の人氣者ピカ子ちゃん」は、1945年8月6日、原子爆弾が落ちた後の広島市内で生まれた子どものうち、唯一元気に育っているという富田博子ちゃんの紹介です。ニックネームは「ピカ子ちゃん」で街の人気者。最近では在日英連邦軍の日刊新聞BCON紙(British Commonwealth Occupation News)の記者もインタビューにきたそうです。 全ての画像はクリックで拡大します。

1948年5月26日

Censored Newspaper Articles紹介の一環として、1948年の今日、5月26日に民間検閲局(CCD)へ提出された文書を紹介します。 1948年5月26日共同通信が、島根県の三瓶山近郊にて日本一、二を争う大きさのラジウム鉱泉が発見されたとの記事(日本語手書き原稿タイトル「すごいラジウム鉱泉発見」)を民間検閲局(CCD)に提出し、発禁(Suppress)処分を受けました。(Prange Call No. 48-loc-1770) 記事によると、広島にて被爆した患者がこの地で温泉に入ったところ傷が治り髪の毛も生えてきたという報告があったとのことです。これを受け岡山大学の教授が調査に乗り出し、この地におけるラジウム含有量が非常に高いことが判明したとあります。その後九州大学や京都大学の教授も調査に加わり、動物試験を経て効果が実証されたそうです。この記事が発禁処分になった理由は記されていません。 日本語手書き原稿のデジタル画像は、当文庫館内および国立国会図書館デジタルコレクションにて閲覧いただけます。

1948年1月17日

現在デジタル化を進めているCensored Newspaper Articles紹介の一環として、1948年の今日、1月17日に民間検閲局(CCD)へ提出された文書を紹介します。 1948年1月17日読売新聞は、原爆傷害調査委員会(ABCC)実験室の移転を報道しようとしました。しかしこの記事は民間検閲局(CCD)によって「Suppress」(発禁)処分を受けたと考えられます。提出された日本語記事ゲラやCCDが残した文書には、発禁処分の理由は記されていません。日本語記事ゲラには「…現在研究室が狭溢なので近く委員会は市内の浅野図書館に移轉、内容を完備、原子研究の殿堂として新発足することになった」とあります。 下記の画像はCCD文書です。(クリックで拡大。個々の画像右下のview full sizeをクリックで更に拡大)日本語記事ゲラの画像は当文庫館内限定での公開となります。

先行研究紹介

以前プランゲ文庫の職員が、ある研究者の方から次のような質問を受けました。 「プランゲ文庫で今までに一番研究されている分野は何でしょうか。」 プランゲ文庫の資料は占領期に出版された全ての分野の資料を網羅している為、「一番研究されている」分野を絞り込むことは非常に難しいとその時に痛感しました。 ただ、次に挙げる2つの分野は、既に研究成果を発表された研究者が多く見うけられることを特記できるかと思います。在日韓国人コミュニティーと、原爆(及び広島・長崎)に関する研究です。下記にこの2分野の先行研究論文・図書の例を紹介します。 占領期の在日韓国人コミュニティーに関する先行研究: “The Korean press in Japan after World War II and its censorship by occupation authorities.” (Yoon, Heesang. 2004.) College Park, Md: University of Maryland. http://hdl.handle.net/1903/199. “GHQ占領期における新聞発行とそのダイナミズム” (小林聡明, 2007.) “GHQ占領期における在日朝鮮人団体機関紙の書誌的研究”. Intelligence.(12): 38-50. (小林聡明. 2012) “戦後占領期の朝鮮人学校教科書に見る「民族意識」 : プランゲ文庫所蔵の史料を通して”. Intelligence. (12): 51-59. (池貞姫. 2012.) 原爆(及び広島、長崎)に関する先行研究: “The Atomic bomb suppressed : American censorship in Japan, 1945-1949″  […]

長崎における展示会のお知らせ

今月から来月にかけ、長崎県立長崎図書館にて原爆文学関連の展示会が開催されています。 「石田壽と長崎」(2階ロビー展)は、石田壽さんの活動を紹介しています。石田壽さんは戦後、娘の石田雅子さんの著作「雅子斃れず」の出版に奔走しました。 プランゲ文庫は「雅子斃れず」のゲラ、仮刷、異なる出版社から出された2冊、そして民間検閲局(CCD)が残した文書などを所蔵しています。そして、今回当文庫所蔵物のコピーが、「石田壽と長崎」において展示されています。 また「原爆文学展」(4階郷土資料展示室)では、長崎の原爆文学作品の展示・紹介を行っており、こちらでも「雅子斃れず」関連資料を展示しているそうです。 7月26日には図書館講座が横手一彦教授(長崎総合科学大学)により「六九年目の『長崎・そのときの被爆少女』- 『雅子斃れず』新資料などを紹介しながら」と題して開催されます。横手教授は「雅子斃れず」に関する研究を長年続けられ、2010年に「長崎・そのときの被爆少女 : 六五年目の『雅子斃れず』」(時事通信社: 2010)を出版されました。この図書館講座では、「雅子斃れず」に関する新資料も紹介される予定です。  

長崎からの訪問者

2013年10月初旬、米国政府機関の一部が閉鎖する事態がありましたが、それは思わぬ恩恵をプランゲ文庫にもたらしました。米公文書館で調査研究を予定されていた日本からの研究者が、多数急遽当文庫を訪問されたからです。 その中の一つに、長崎原爆被爆者の深堀好敏氏(84)を含む長崎からの訪問者グループがあります。 1978年夏、深堀氏は五名の被爆者と共に長崎原爆関連の写真を収集する個人団体を設立しました。1983年、この団体は長崎平和推進協会(ピース・ウィング長崎)の委員会として正式に認可され、米国戦略爆破調査団、一般市民、日本陸軍、ジャーナリストなどが撮影した写真をこれまでに約四千枚収集してきました。 ところで、当文庫は2012年、ビクター・デルノア・ペーパーの寄贈を受けたところですが、その中にある写真アルバムには、長崎に原爆が投下された直後の写真も含まれています。深堀氏と奥野正太郎氏(長崎原爆資料館)は、デルノア・ペーパーから、深堀氏が今までにみたことのない写真、手書き地図、また新聞記事の切り抜きなどの、新たな資料の発見をすることができました。 デルノア・ペーパーに加え、当文庫には長崎関連の資料が多数保存されています。「雅子斃れず」(石田雅子著)や「長崎の鐘」(永井隆著)もその一部です。 深堀氏は、長崎市及び長崎原爆資料館の方々と共に訪問されました。また読売新聞の記者が、このグループの訪米に同行取材していました。下記のリンクをクリックしてください。 読売新聞関連記事10/18/2013 毎日新聞関連記事 article 10/18/2013