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寄贈資料の紹介: Roy W. Simonson Slides

ロイ・シモンソン氏(Roy W. Simonson: 9/7/1908 – 11/2/2008)は、地質学者として1938年から1943年にかけてIowa State Collegeにて教鞭を執り、その後Soil correlatorとしてアメリカ合衆国農務省に勤めました。第二次世界大戦後シモンソン氏はMilitary Geology Unitの一員となり、農務省のSoil Survey部署に1973年の退職まで勤務しました。 Roy W. Simonson Slidesは、シモンソン氏が1947~1948年に日本、沖縄、パラオ、グアムで撮影した342枚のカラースライドで成り立ちます。 簡易目録はUniversity of Maryland Libraries Archival Collections (Inventories/Additional Information をクリック)で公開しています。

オーラル・ヒストリー特集: ジョン・マキ氏(John Maki)

マーリン・メイヨー・オーラル・ヒストリーズに収められているインタビューをひとつずつ詳しく紹介していきます。現時点で、29件のインタビューについては筆記録をオンライン上で公開しています。その他の筆記録および音源は、プランゲ文庫館内にてご利用頂けます。これまでのオーラル・ヒストリー特集はこちらのページをご覧ください。 今日4月19日はジョン・マキ氏(John M. Maki)の誕生日です。メリーランド大学歴史学部のマーリン・メイヨー教授は1979年11月3日、“Oral Histories with Americans Who Served in Allied Occupied Japan” プロジェクトにてマキ氏のインタビューを行ないました。 ジョン・マキ氏(4/19/1909~12/7/2006)はワシントン州のタコマ市にて日本人の両親の元に生まれましたが、その後アメリカ人のMcGilvreys家に養子にもらわれます。そして1930年代にワシントン大学にて英文学の学位及び修士号を取得、その後日本外務省からの奨学金で日本に渡り1939年まで日本に滞在しました。1939~1942年は母校であるワシントン大学にて教鞭を執りました。 当時日本語を話せ日本文化にも精通している数少ないアメリカ人として、マキ氏はその後米国連邦通信委員会のForeign Broadcast Intelligence Serviceにて勤務するよう誘われます。マキ氏は戦争情報局(Office of War Information – OWI)にて戦争の心理戦計画に関与し、インタビュー内でもこの戦争情報局での経験について多く語っています。 1945年マキ氏はGHQ/SCAPの民生局に勤めることになりました。マキ氏が日本に到着した際には新日本国憲法の草案はすでに提出されていました。マキ氏はいくつかのコメントをつけることはできましたが、その後すぐに公職追放処分を受けた日本人からの嘆願書を処理する仕事にまわることになり、同時に政府機関への変更への提案にも関わりました。マキ氏は1946年の2月~8月まで日本に滞在し、米国帰国後は政治学の博士号をハーバード大学にて取得しました。1948~1966年はワシントン大学、そして1966~1980年はマサチューセッツ大学で教えました。その間マキ氏は日本の政府や政治に関する本を執筆または翻訳し、1983年には瑞宝中綬章を受章しました。 マーリン・メイヨー・オーラル・ヒストリーズのページで、このインタビューの筆記録をダウンロードできます。

オーラル・ヒストリー特集:アール・マイナー氏(Earl Roy Miner)

マーリン・メイヨー・オーラル・ヒストリーズに収められているインタビューをひとつずつ詳しく紹介していきます。現時点で、29件のインタビューについては筆記録をオンライン上で公開しています。その他の筆記録および音源は、プランゲ文庫館内にてご利用頂けます。これまでのオーラル・ヒストリー特集はこちらのページをご覧ください。 今日2月21日はアール・マイナー氏(Earl Roy Miner)の誕生日です。メリーランド大学歴史学部のマーリン・メイヨー教授は1980年8月19日、“Oral Histories with Americans Who Served in Allied Occupied Japan” プロジェクトにてマイナー氏のインタビューを行ないました。メイヨー教授は特に、マイナー氏が参加したミネソタ大学での日本語プログラム及び、彼の占領期における経験について詳しく聞いています。 マイナー氏は1927年2月21日にウィスコンシン州のMarshfieldで生まれ、高校卒業後Army Specialized Training Programに参加しました。そして1944年、ミネソタ大学の日本語プログラムに入学します。このプログラムの主な目的は日本語:英語の通訳者を養成することでした。マイナー氏は1946年に日本に派遣され、主に四国と九州で勤務にあたり、主に人口や食料状況などといった人々の暮らしに関する情報を収集しました。その後陸軍を除隊、1946年11月から1947年11月の1年間はGHQの名古屋の経済部門(Economic Section)に勤めました。 マイナー氏は米国に帰国後、Williams College、UCLA,、Princetonといった様々な大学の英語学部で教鞭をとりました。 マーリン・メイヨー・オーラル・ヒストリーズのページで、このインタビューの筆記録をダウンロードできます。

オーラル・ヒストリー特集:レイモンド・ヴァーノン氏(Raymond Vernon)

マーリン・メイヨー・オーラル・ヒストリーズに収められているインタビューをひとつずつ詳しく紹介していきます。現時点で、29件のインタビューについては筆記録をオンライン上で公開しています。その他の筆記録および音源は、プランゲ文庫館内にてご利用頂けます。これまでのオーラル・ヒストリー特集はこちらのページをご覧ください。 9月1日はレイモンド・ヴァーノン氏(Raymond Vernon)の誕生日です。メリーランド大学歴史学部のマーリン・メイヨー教授は1979年11月1日、“Oral Histories with Americans Who Served in Allied Occupied Japan” プロジェクトにてヴァーノン氏のインタビューを行ないました。 レイモンド・ヴァーノン氏(1913年9月1日~ 1999年8月25日)は、1935年から1946年の間、米国証券取引委員会(Securities and Exchange Commission, SEC)に勤め、その間には日本の資本や証券に関する資料を作成しました。SEC時代にはまた、Corwin Edwards氏と共に反トラスト法や資本の分散に関する報告書作成のため訪日しています。 1946年に米国に帰国してまもなく、ヴァーノン氏は米国務省で働き始めマーシャルプラン担当チームに配属されました。そこでは国際通貨基金(International Monetary Fund)の設立に関わり、また「関税及び貿易に関する一般協定 = General Agreement on Tariffs and Trade)」の日本加入にも助力しました。 ヴァーノン氏は1959年にハーバード大学にて教職に就き、国際経済の研究を進めました。ヴァーノン氏は時に「Father of Globalization」とも呼ばれているとのことです。 マーリン・メイヨー・オーラル・ヒストリーズのページで、ヴァーノン氏のインタビューの筆記録をダウンロードできます。

オーラル・ヒストリー特集:マリウス・ジャンセン氏(Marius Jansen)

マーリン・メイヨー・オーラル・ヒストリーズに収められているインタビューをひとつずつ詳しく紹介していきます。現時点で、29件のインタビューについては筆記録をオンライン上で公開しています。その他の筆記録および音源は、プランゲ文庫館内にてご利用頂けます。これまでのオーラル・ヒストリー特集はこちらのページをご覧ください。 4月1日はマリウス・ジャンセン氏(Marius Jansen)の誕生日です。ジャンセン氏(1922年4月1日~ 2000年12月10日)は日本史の専門家として知られています。メリーランド大学歴史学部のマーリン・メイヨー教授は1979年11月10日、 “Oral Histories with Americans Who Served in Allied Occupied Japan” プロジェクトにてジャンセン氏のインタビューを行ないました。 ジャンセン氏はプリンストン大学でルネサンスと宗教改革の歴史を専攻しました。第二次世界大戦の開始に伴い、ジャンセン氏は日本語の訓練を受け米国防諜部隊(Counterintelligence Corps = CIC)に勤めました。ジャンセン氏は1945年8月初旬、日本降伏の直前に沖縄に着き、その後横浜に移動しました。インタビュー内でジャンセン氏は次のように述べています。 We managed to get Izu Peninsula added to our territory in time on the ground that connections were better from the north than from the Shizuoka side. So we developed a rather close familiarity with some […]

オーラル・ヒストリー特集: ウィリアム・キネス・ブンス氏(William Kenneth Bunce)

マーリン・メイヨー・オーラル・ヒストリーズに収められているインタビューをオーラル・ヒストリー特集としてひとつずつ詳しく紹介していきます。現時点で29件のインタビューは筆記録をオンライン上で公開しています。その他の筆記録および音源はプランゲ文庫館内にてご利用頂けます。これまでのオーラル・ヒストリー特集はこちらのページをご覧ください。 本日8月31日はウィリアム・キネス・バンス氏(William Kenneth Bunce)の誕生日です。 メリーランド大学歴史学部のマーリン・メイヨー教授は1980年3月18日、 “Oral Histories with Americans Who Served in Allied Occupied Japan” プロジェクトにてバンス氏(8/31/1907 – 7/23/2008)のインタビューを行ないました。 バンス氏は1943年米海軍予備部隊に入隊、その後コロンビア大学において国際管理の修士課程を修了します。占領期にはSCAPの宗教文化資源課長(Chief of the Religious and Cultural Resources Division)を勤め、日本における文化的・宗教的・社会的・学術的機関の非軍事化に関わりました。バンス氏は1945年、国家神道を廃止する「神道指令」を書いた人物としても知られています。占領期後は在日米国大使館に勤務し、その後1971年の退職までは米政府関連職に就きました。 また国立国会図書館では、トルーマン大統領図書館ににてマイクロフィルム撮影で収集した「ウィリアム・ケネス・バンス文書」が利用に供されています。 マーリン・メイヨー・オーラル・ヒストリーズのページで、このインタビューの筆記録をダウンロードできます。

オーラル・ヒストリー特集:エマーソン・シェーピン氏(Emerson Chapin)

マーリン・メイヨー・オーラル・ヒストリーズに収められているインタビューをひとつずつ詳しく紹介していきます。現時点で、29件のインタビューについては筆記録をオンライン上で公開しています。その他の筆記録および音源は、プランゲ文庫館内にてご利用頂けます。これまでのオーラル・ヒストリー特集はこちらのページをご覧ください。 7月31日はエマーソン・シェーピン氏(Emerson Chapin)の誕生日です。シェーピン氏(1920-2003)はニューヨーク・タイムズの海外特派員を長く勤めた人物です。シェーピン氏は1945年9月末に、占領軍の一員として日本へ到着しました。1946年には除隊しますが同年日本に戻り、民間情報教育局(Civil Information and Education Section = CI&E)に勤務、雑誌の記事分析業務に携わりました。民間情報教育局が解体された後は、連合軍翻訳通訳部局(Allied Translator and Interpreter Service = ATIS)にて同様の任務に就きました。シェーピン氏は1950年の7月10日に日本を離れました。 2015年、シェーピン氏の息子であるディビット・シェーピン氏により、404枚のスライドと236枚の写真が当文庫に寄付され、Emerson Chapin Photographs and Slidesと命名されました。この資料群の検索・利用に興味のある方は、prangebuno@umd.eduまでご連絡ください。

オーラル・ヒストリー特集:ジュリウス・ベーシン氏(Julius Bassin)

マーリン・メイヨー・オーラル・ヒストリーズに収められているインタビューをひとつずつ詳しく紹介していきます。現時点で、29件のインタビューについては筆記録をオンライン上で公開しています。その他の筆記録および音源は、プランゲ文庫にてご利用頂けます。これまでのオーラル・ヒストリー特集はこちらのページをご覧ください。 弁護士で国務省職員だったジュリウス(ジュールス)・ベーシン氏は1945年、ダグラス・マッカーサー元帥の元で日本との平和条約締結交渉に関与しました。1946年にベーシン氏は陸軍を離れ、連合国軍最高司令官総司令部(SCAP)の法務局課長を占領終了まで勤めました。1952年には東京のアメリカ大使館にて法律部門専門の大使館員となりました。 メリーランド大学歴史学部のマーリン・メイヨー教授は1979年10月2・9日、 “Oral Histories with Americans Who Served in Allied Occupied Japan” プロジェクトにてベーシン氏のインタビューを行ないました。マーリン・メイヨー・オーラル・ヒストリーズのページで、このインタビューの筆記録をダウンロードできます。また音源はメリーランド大学図書館ホーンベイク図書館の閲覧室(Maryland Room)にて利用に供されています。 2015年、ジュリウス・ベーシン氏の息子であるN. ジェイ・ベーシン氏により追加資料がプランゲ文庫に寄付されました。この追加資料には、ベーシン氏が日本に行く前の資料も含まれています。写真アルバムや招待状などはデジタル化がすでに終了し、当大学図書館のデジタルコレクションにてご覧いただけます。追加資料に含まれるビデオなどはまだ未整理状態です。ご興味のある方は、こちらからご連絡ください。

ビクター・デルノア展 [長崎原爆資料館]

当メリーランド大学図書館が、「ビクター・デルノア・ペーパー」のデジタル画像を長崎市へ寄贈することを記念し、長崎原爆資料館で現在「ビクター・デルノア展」が開催されています。 ビクター・デルノア中佐(Lt. Colonel Victor E. Delnore)は、1946年から1949年まで占領軍長崎軍政部司令官として長崎県の復興、秩序安定に力を注いだ人物です。 ビクター・デルノア展について詳しくは、長崎原爆資料館の企画展示室ウェブページをご覧下さい。

iSchool (メリーランド大学図書館学学科)インターン生より (2017) – Mead Smith Karras Papers

[本記事はAshley Victoria Haddix(2017年秋学期 iSchool Field Studies インターン)による寄稿です。彼女のインターンについての記事はこちらからどうぞ] ゴードン W.プランゲ文庫のインターンシップでは、ミード・スミス・カラス・ぺーパー(Mead Smith Karras Papers)を整理する仕事を任されました。 ミード・スミス・カラス氏(Mead Smith Karras)は、1946~1949年の間エコノミストとしてSCAPの労働課に勤務し、労働省婦人少年局(Women’s and Minor’s Bureau)の新設や、労働基準法を通じて女性と子どもの労働環境を改善するため奔走しました。 カラス・ペーパーには、GHQの正式な月報が含まれており、ここには賃金や労働立法、労働組合員や労働組合運動などの情報が多く記録されています。これらの月報からは、戦後復興に向かう日本において国民の労働に対する考え方などが常に変動していたことが見て取れます。 また、紙芝居やGHQの労働課が作成したポスターなど、ユニークな資料もカラス・ペーパーに含まれています。ポスターには、未成年が働く場合の安全確保や、女性が労働組合を結成する手助けをする情報などが記載されています。カラス氏が1949年に日本を去る際、労働省婦人少年局の各地方の代表者から送られた感謝状もありました。これらの手紙は、カラス氏が戦後の日本女性の労働環境改善において多大な功績を残したということだけではなく、働く女性達と個人的な親交を深めていたことを象徴する資料と言えます。 カラス・ペーパーを整理し終わり、この資料群は戦後日本を理解するために非常に重要な資料だと改めて感じました。カラス・ペーパーは下記のウェブサイトから詳しく検索できます。 https://archives.lib.umd.edu/repositories/2/resources/1419