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8月9日 – 長崎日日記事(8/8/1948)

「アトム街に花一輪 – あす原爆3周年」と題されたこの記事は、1948年8月8日に長崎日日(Call No. NN0096)に掲載されました。一部抜粋します。 “アトムの街浦上に三度めぐり来た夏はまた感慨深い、アンゼラスの鐘の下咲き乱れる名無草をかき分けて花摘む乙女らの胸には亡き友の追憶がこみ上げてくる、在りし日、この丘に腰を下し、そつと肩に手を置きながら共に歌つた懐しい思い出、それも二度とは還らない……” Advertisements

ビクター・デルノア展 [長崎原爆資料館]

当メリーランド大学図書館が、「ビクター・デルノア・ペーパー」のデジタル画像を長崎市へ寄贈することを記念し、長崎原爆資料館で現在「ビクター・デルノア展」が開催されています。 ビクター・デルノア中佐(Lt. Colonel Victor E. Delnore)は、1946年から1949年まで占領軍長崎軍政部司令官として長崎県の復興、秩序安定に力を注いだ人物です。 ビクター・デルノア展について詳しくは、長崎原爆資料館の企画展示室ウェブページをご覧下さい。

雑誌特集:長崎県で出版された雑誌

2015年3月より、約5,300点(約700タイトル)のプランゲ文庫所蔵雑誌が国立国会図書館のデジタルコレクションにて閲覧可能(館内閲覧限定)となりました。これらの雑誌を今後当ブログにてシリーズとして紹介していきます。シリーズ記事の一覧はこちらからご覧頂けます。 シリーズ第十回目の今回は、長崎県で発行された雑誌を数点紹介します。 同志. [1号(1949年3月)] (Call No. D-295) 佐世保商工高等学校工業部電気科同志会が1949年に創刊した「同志」は、学生によるクラス機関誌です。内容は幅広く、作文や書評もあればコントやクイズのコーナーなどもあります。また雑誌名「同志」決定までの報告など、学生の情報共有の場としても利用する意向だったことが見受けられます。プランゲ文庫は創刊号のみの所蔵となり、その後の発行状況は不明です。また、発行人が民間検閲局(CCD)に出した発行届けが入っていたと思われる封筒の一部が残されていました。 血潮. [1号(1948年3月)] (Call No. C-126) 五島青年民主評論会発行の「血潮」も創刊号のみの所蔵です。冒頭に長崎県政府教育課補佐官、E. N. Meldal (イー・エヌ・メルダール)氏からのメッセージを掲載しています。本文にもメルダール氏による寄稿「かひもの」がありました。これは日本の古物商とアメリカ兵の面白いやり取りを描いたものです。 団結. [1巻1号(1948年8月)-5・6号(1949年8月)] (Call No. D-96) 地区労. [1号(1948年8月)] (Call No. C-83) 「団結」は佐世保港湾労働組合による機関誌で、「地区労」は島原地区労働組合協議会による機関誌です。「団結」の創刊号の表紙には「1 Info」と書かれており「戦後インフレの分析」という論文の一部にCCD検閲官によって印が入れられています。書込みは「Introduction of foreign capital into Japan」とあります。第二号からは新聞のような形に変更されています。「地区労」創刊号も同様に「運送事業を社会化せよ」という論文に「1 Info」の書込みが見られます。

長崎日日

Censored Newspaper Articles(CNA)は、新聞記事の棒ゲラや民間検閲局(CCD)によって書かれた文書がまとめて残されているケースが多いです。しかしCCD文書だけが残されており、実際の新聞記事は出版されたものを照会しないと記事内容がはっきりとはわからないものもありました。今日紹介する「長崎日日」の記事もその一例です。(Call No. 48-dis-0332) 左の文書は、長崎日日の記事(1948年7月31日付、九州版)が「Reference to Censorship」のために「disapproved」処分を受けた事を示すCCD文書です。「The outline of Atomic Diseases by Prof. Takashi NAGAI will be published by the SHOWA-SYOBO Bookstore as a nbook of 250 pages as soon as it passes censorship.」の下線部が検閲に引っかかりました。 さて実際の新聞記事がこちらには同封されてなかったので、新聞コレクションの「長崎日日」同日紙を当たってみました。該当記事は「著作に没頭の永井氏 – 寸暇をさいて式場氏見舞いに」という記事でした。著作の清書に病床から取り組む永井隆氏の自宅に、式場隆三郎が見舞いにやってきたという内容です。最終段落は「なお目下清書しつつある”原子病概論”は八月九日までに式場氏の下に送付され、検閲許可あり次第昭和書房から二百五十頁の單行本として公にされる豫定」とあり、CCD文書にある通り「検閲許可有り次第」という箇所に赤字でチェックが入っています。 ここでCNAのCCD文書に戻ってみると、検閲処分を記した箇所に「Post-censored」(事後検閲)と書かれています。全面印刷されたものがある事(左は同紙の一面部分)からも、既に発行された後にこの記事についてCCDから注意が入った、と考えられます。ただし一刷目で検閲処分となり、その後別刷や別版で記事文章を変更したかどうかは不明です。 全ての画像はクリックで拡大します。

長崎における展示会のお知らせ

今月から来月にかけ、長崎県立長崎図書館にて原爆文学関連の展示会が開催されています。 「石田壽と長崎」(2階ロビー展)は、石田壽さんの活動を紹介しています。石田壽さんは戦後、娘の石田雅子さんの著作「雅子斃れず」の出版に奔走しました。 プランゲ文庫は「雅子斃れず」のゲラ、仮刷、異なる出版社から出された2冊、そして民間検閲局(CCD)が残した文書などを所蔵しています。そして、今回当文庫所蔵物のコピーが、「石田壽と長崎」において展示されています。 また「原爆文学展」(4階郷土資料展示室)では、長崎の原爆文学作品の展示・紹介を行っており、こちらでも「雅子斃れず」関連資料を展示しているそうです。 7月26日には図書館講座が横手一彦教授(長崎総合科学大学)により「六九年目の『長崎・そのときの被爆少女』- 『雅子斃れず』新資料などを紹介しながら」と題して開催されます。横手教授は「雅子斃れず」に関する研究を長年続けられ、2010年に「長崎・そのときの被爆少女 : 六五年目の『雅子斃れず』」(時事通信社: 2010)を出版されました。この図書館講座では、「雅子斃れず」に関する新資料も紹介される予定です。  

デルノア通り

ビクター・デルノア中佐(Lt. Colonel Victor E. Delnore)は、占領軍が駐留するようになって一年後の1946年9月、占領軍長崎軍政部司令官に就任しました。任期終了の1949年まで、デルノア中佐は長崎県の復興に努力を惜しまず、地元の人々からは厚い信頼が寄せられました。デルノア中佐が長崎県を離れる際には、その業績を称え、司令官官舎前の通りを「デルノア通り」と名づける計画もあったようです。プランゲ文庫が所蔵する当時の新聞にも、この計画に関する記事がありました。(当文庫所蔵の新聞に関してはこちらのページをご覧ください。) “長崎市にデルノア通り,” 長崎日日, (長崎日日新聞社, 3/23/1949)  [Call Number: NN0096] “デルノア通り”命名,” 長崎日日, (長崎日日新聞社, 3/26/1949)  [Call Number: NN0096]) しかし、その後都市開発が進むにつれ、この計画はいつしか忘れ去れ実現されませんでした。 さて、昨年2013年秋、長崎市の代表団が当文庫を訪問しました。(詳しくはこのブログ記事をご覧ください。)報道関係者も同行され、当文庫が2012年に寄贈を受けた、長崎市の貴重な歴史資料である「デルノア・ペーパー」の存在を伝えられました。この報告を受け、また来年2015年には被爆70年となることもあり、長崎市は正式に「デルノア通り」の命名を実現させることを決定しました。当時の標識の復刻版が、今年の8月9日の祈念式典に合わせて通りに掲げられ、デルノア中佐の娘であるパトリシア・マギーさんが除幕式に招待されるとのことです。 詳しくは、上の新聞記事の画像をクリックしてください。当時の標識の前に立つデルノア夫妻の写真は、「デルノア・ペーパー」のものです。  

長崎からの訪問者

2013年10月初旬、米国政府機関の一部が閉鎖する事態がありましたが、それは思わぬ恩恵をプランゲ文庫にもたらしました。米公文書館で調査研究を予定されていた日本からの研究者が、多数急遽当文庫を訪問されたからです。 その中の一つに、長崎原爆被爆者の深堀好敏氏(84)を含む長崎からの訪問者グループがあります。 1978年夏、深堀氏は五名の被爆者と共に長崎原爆関連の写真を収集する個人団体を設立しました。1983年、この団体は長崎平和推進協会(ピース・ウィング長崎)の委員会として正式に認可され、米国戦略爆破調査団、一般市民、日本陸軍、ジャーナリストなどが撮影した写真をこれまでに約四千枚収集してきました。 ところで、当文庫は2012年、ビクター・デルノア・ペーパーの寄贈を受けたところですが、その中にある写真アルバムには、長崎に原爆が投下された直後の写真も含まれています。深堀氏と奥野正太郎氏(長崎原爆資料館)は、デルノア・ペーパーから、深堀氏が今までにみたことのない写真、手書き地図、また新聞記事の切り抜きなどの、新たな資料の発見をすることができました。 デルノア・ペーパーに加え、当文庫には長崎関連の資料が多数保存されています。「雅子斃れず」(石田雅子著)や「長崎の鐘」(永井隆著)もその一部です。 深堀氏は、長崎市及び長崎原爆資料館の方々と共に訪問されました。また読売新聞の記者が、このグループの訪米に同行取材していました。下記のリンクをクリックしてください。 読売新聞関連記事10/18/2013 毎日新聞関連記事 article 10/18/2013