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メリーランド大学のクラス訪問 (HIST 483) [Spring 2017]

2017年2月28日、メリーランド大学のC.R. リリー教授(歴史学部)が受け持つ「Modern Japan」クラス (HIST483)の学生たちが授業の一環としてプランゲ文庫を訪問しました。このクラスは明治維新から現代までの日本史を学ぶクラスです。 まずプランゲ文庫室長が、検閲の基礎骨組みとなったプレスコードを詳しくたどりながら民間検閲局(CCD)による検閲のプロセスを説明し、どのような出版指標が日本の出版社に与えられたのかを説明しました。そしてCCDが「タブー」として特に注目していた話題の例を挙げ、具体的な資料を見せました。ここで取り上げた「タブー」の話題とは、「検閲の事実を知らせるもの」、「原子爆弾」そして「軍事的宣伝」の3点です。 次に当文庫マネージャーが、日本国憲法についてのプレゼンテーションを行いました。プランゲ文庫は、SCAPの民生局次長として日本国憲法制定に大きく関わったチャールズ・ケーディスの個人所蔵文書(Charles L. Kades Papers)を所蔵しています。また同じく憲法構築に大きく関わったベアテ・シロタ・ゴードン(Beate Sirota Gordon)のインタビューも、マーリン・メイヨー・オーラル・ヒストリーズの一部として所蔵しています。

1947年9月18日

Censored Newspaper Articles紹介の一環として、1947年の今日、9月18日に民間検閲局(CCD)へ提出された文書を紹介します。 1947年9月18日新聞之新聞が、キャスリン台風が関東地域一帯にもたらした被害に関する記事を民間検閲局(CCD)に提出し、削除(Delete)処分を受けました。(Prange Call No. 47-loc-0841) この記事は被害状況だけではなく各新聞社の報道の仕方にも言及し、朝日新聞が「GHQ側より特別の便宜を與えて貰つたのか」、特に写真を使った記事では「朝日の獨占」になった、と批判しています。下線部が削除処分を受けた箇所です。 左のCCD文書はクリックで拡大します。日本語ゲラは当文庫館内及び国立国会図書館館内限定での公開となります。

1947年8月23日

Censored Newspaper Articles紹介の一環として、1947年の今日、8月23日に民間検閲局(CCD)へ提出された文書を紹介します。 1947年8月23日第一新聞が、終戦後の東京でアヘン密売が広がり、アヘン中毒者が激増しているとの記事を民間検閲局(CCD)に提出し、発禁(Suppress)処分を受けました。 日本語ゲラは「終戰後のドサクサにまぎれて國内にバラマかれたバク大なアヘンで都内だけでも四万人のモヒ中毒者を生んでいる」との一文で始まります。調査班のレポートとして、密輸及び密売所の現状、アヘン価格などを詳しく述べています。記事によると、都庁は今後予算百万円を計上、密売船やアヘン賭博場の捜査・取締りを強化し、「文化東京を侵蝕するアヘンルートの根を斷つことになった」とのことです。 下記のCCD文書はクリックで拡大し、更に個々の画像右下の「view full size」をクリックすると更に拡大します。日本語ゲラは当文庫館内及び国立国会図書館館内限定での公開となります。

1947年7月18日

Censored Newspaper Articles紹介の一環として、1947年の今日、7月18日に民間検閲局(CCD)へ提出された文書を紹介します。 1947年7月18日に時事新報が民間検閲局(CCD)に提出した社説は、一部削除(Delete)処分を受けました。(Prange Call No. 47-loc-0405) 「懷中物用心」と題されたこの社説は、内務省が推奨する「防犯運動」の一環としてスリ検挙に協力を求めると共に、スリ被害が急増していることについて読者に注意を呼びかけています。また最近のスリには新米の青少年が多いことに触れています。「青少年の犯罪激増は、戦後社会に於ける世界共通の現象で、それが敗戦國に於て特に顕著なことにも例外はない」との前置きの後、なぜ昨今の日本では青少年がスリに手を染めるのかを論じています。削除処分となった箇所を一部引用します。 「勿論、戦争による生活困窮と道義的堕落の影響であるが、特に我國の場合は、國民的な誇りを失ったことと、昔から我國の青少年を愛護し監督してきた家庭が、現実に壊滅したり又著しく権威を失ったことが、特に作用しているであろう・・・・(後略)」 日本語ゲラのデジタル画像は当文庫館内および国立国会図書館デジタルコレクションにて閲覧いただけます。

1947年7月2日

Censored Newspaper Articles紹介の一環として、1947年の今日、7月2日に民間検閲局(CCD)へ提出された文書を紹介します。 1947年7月2日、多数の新聞社が殺傷事件に関する記事を民間検閲局(CCD)に提出しました。東京都中央区呉服橋の「サンタフェ」というダンスホール前で起こったこの事件は、「NYKビルのバッチ」を付けた人物が「前日の夜に二世を殴った」人物に報復に来たことから始まります。「NYKビルのバッチ」をつけた男は探している人物がいなかったため、無関係と思われる「サンタフェ」勤務の男性2人を外に呼び出しました。そして待っていた12~3名の男達と殴り合いに発展、ついには「サンタフェ」勤務の男性1人が短刀で刺され死亡、もう一人も重傷を負いました。その後犯人達は逃走したとのことです。 日本経済新聞、朝日新聞、第一新聞、時事通信、共同通信、毎日新聞、新報知、新夕刊、東京新聞、民報がそれぞれCCDに提出したゲラや手書き原稿が残っています。記事の書き方によって検閲処分箇所が多少異なるようですが、「NYKバッチ」と「二世」という言葉はどの記事でもDelete(削除)処分を受けているようです。画像は、日本経済新聞、共同通信、時事通信の記事に残されたCCD文書です。クリックで拡大します。その他の新聞の日本語ゲラデジタル画像は、当文庫館内および国立国会図書館デジタルコレクションにて閲覧いただけます。

1948年6月13日

Censored Newspaper Articles紹介の一環として、1948年の今日、6月13日に民間検閲局(CCD)へ提出された文書を紹介します。 1948年6月13日アカハタが、フィリピン政府が日本織物の輸入を停止する意向との態度を示している、という内容の記事を民間検閲局(CCD)に提出し、発禁(Suppress)処分を受けました。(Prange Call No. 48-frn-2354) 日本語ゲラによると、日本の経済力復興の為アメリカ政府が日本の品物輸出を推奨しているのに対しフィリピン政府はかねてより反対態度を表明。そして今「マッカーサー元帥がこの反対を無視し」、日本の対フィリピン貿易を拡大しようとしているためフィリピン政府は日本織物の輸入停止に踏み切らずをえない、とのことです。CCD文書及び日本語ゲラに発禁処分の理由は述べられていません。 日本語ゲラのデジタル画像は当文庫館内および国立国会図書館デジタルコレクションにて閲覧いただけます。  

1947年5月30日

Censored Newspaper Articles紹介の一環として、1947年の今日、5月30日に民間検閲局(CCD)へ提出された文書を紹介します。 1947年5月30日毎日新聞が、天皇の関西行幸に関する記事を民間検閲局(CCD)に提出しました。(Prange Call No. 47-loc-0286) 日本語手書き原稿は天皇の旅行予定だけではなく、天皇が移動に利用される車種について詳しく述べています。今まで使っていた車は燃費が悪いため近々米国のクライスラー社製の車を輸入して利用する予定だという箇所がDelete(削除)処分を受けたようです。 日本語ゲラのデジタル画像は当文庫館内および国立国会図書館デジタルコレクションにて閲覧いただけます。