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1948年3月17日

Censored Newspaper Articles紹介の一環として、1948年の今日、3月17日に民間検閲局(CCD)へ提出された文書を紹介します。 1948年3月17日読売新聞が、外国語習得を目指す国民が増え英語だけではなくスペイン語などに興味を持つ生徒が急増という記事を民間検閲局(CCD)に提出しました。一旦HOLD処分を受けましたが、その後PASSとなったようです。(Prange Call No. 48-loc-0472) 記事は終戦後「盛り上つた米英語熱はもちろん」のこと、現在はスペイン語やフィリピン語科に志願者が殺到している一方、蒙古科やイタリア語、ロシア語を志願する学生は減少していると述べています。たとえば東京外事専門学校の志願者を見ると、戦争中は志願者が激減した英米科が定員60名のところに志願者1200人以上(競争率21倍)、スペイン語(イスパニア科)は定員30名のところに志願者274名(競争率9倍)となったそうです。記事はこのスペイン語への興味は「講和会議後スペイン語を使う南米方面への進出を期待しているもの」と予想しています。 日本語ゲラのデジタル画像は当文庫館内および国立国会図書館デジタルコレクションにて閲覧いただけます。

1948年1月14日

Censored Newspaper Articles紹介の一環として、1948年の今日、1月14日に民間検閲局(CCD)へ提出された文書を紹介します。 1948年1月14日第一新聞が、東京都内のそば屋が外食券を発行して近々営業を再開するという記事を民間検閲局(CCD)に提出し、発禁(Suppress)処分を受けました。(Prange Call No. 48-loc-0156) 「外食券ソバ: 二月中旬ころ」と題されたこの記事によると、東京都内のそば屋が近く本格的に営業再開とのことです。ただし「そば屋さんの加工能力と原料不足」のため「全都民への配給は不能」であり、そのため「主食差引きのそば(うどん)専鑛の外食券」を発行することでまかなうとあります。この記事が発禁処分を受けた理由は特に記載されていません。 日本語ゲラのデジタル画像は当文庫館内および国立国会図書館デジタルコレクションにて閲覧いただけます。

1947年12月20日

Censored Newspaper Articles紹介の一環として、1947年の12月20日に民間検閲局(CCD)へ提出された文書を紹介します。 1947年12月20日東京タイムズが、日本の傷痍者に同情したローマ法王から一万円が送られてきたという記事を民間検閲局(CCD)に提出しました。記事によると、この寄付に感激した大田区南千束にあるカトリック教会の信徒たちは、寄付金全額をクリスマスの日に傷痍者授産場に送ることにしたとのことです。この記事は一旦保留(HOLD)となりましたが、その後検閲処分を受けずに通過したと思われます。日本語の棒ゲラ(「傷[痍]者の授産場にローマ法王から一萬圓 日本信敎の善行が結完」)のデジタル画像は、当文庫館内および国立国会図書館デジタルコレクションにて閲覧いただけます。

1947年10月26日

Censored Newspaper Articles紹介の一環として、1947年の10月に民間検閲局(CCD)へ提出された文書を紹介します。 1946年、昭和天皇による日本各地への巡幸が始まり、各地域の新聞だけではなく大手の日刊紙もこぞってこの話題を取り上げました。プランゲ文庫が所蔵するCensored Newspaper Articles (CNA)にも、巡幸に関するものがいくつか確認できます。下記のCNAは石川県への巡幸(1947年10月26日~30日)に言及した記事2点です。このうち読売新聞の記事は民間検閲局(CCD)によって削除(Delete)処分を受けました。日本語ゲラを見ると、削除された箇所は「組合側では陛下巡幸の廿八日を期してサボに入ることを準備し….”」とありました。(Prange Call No. 47-loc-1407) 下記の画像をクリックすると拡大します。日本語ゲラのデジタル画像は当文庫館内および国立国会図書館デジタルコレクションにて閲覧いただけます。 天皇の巡幸はプランゲ文庫が所蔵する他の資料でも見られます。以下は一例です。

1947年9月18日

Censored Newspaper Articles紹介の一環として、1947年の今日、9月18日に民間検閲局(CCD)へ提出された文書を紹介します。 1947年9月18日新聞之新聞が、キャスリン台風が関東地域一帯にもたらした被害に関する記事を民間検閲局(CCD)に提出し、削除(Delete)処分を受けました。(Prange Call No. 47-loc-0841) この記事は被害状況だけではなく各新聞社の報道の仕方にも言及し、朝日新聞が「GHQ側より特別の便宜を與えて貰つたのか」、特に写真を使った記事では「朝日の獨占」になった、と批判しています。下線部が削除処分を受けた箇所です。 左のCCD文書はクリックで拡大します。日本語ゲラは当文庫館内及び国立国会図書館館内限定での公開となります。

1947年8月23日

Censored Newspaper Articles紹介の一環として、1947年の今日、8月23日に民間検閲局(CCD)へ提出された文書を紹介します。 1947年8月23日第一新聞が、終戦後の東京でアヘン密売が広がり、アヘン中毒者が激増しているとの記事を民間検閲局(CCD)に提出し、発禁(Suppress)処分を受けました。 日本語ゲラは「終戰後のドサクサにまぎれて國内にバラマかれたバク大なアヘンで都内だけでも四万人のモヒ中毒者を生んでいる」との一文で始まります。調査班のレポートとして、密輸及び密売所の現状、アヘン価格などを詳しく述べています。記事によると、都庁は今後予算百万円を計上、密売船やアヘン賭博場の捜査・取締りを強化し、「文化東京を侵蝕するアヘンルートの根を斷つことになった」とのことです。 下記のCCD文書はクリックで拡大し、更に個々の画像右下の「view full size」をクリックすると更に拡大します。日本語ゲラは当文庫館内及び国立国会図書館館内限定での公開となります。

1947年7月18日

Censored Newspaper Articles紹介の一環として、1947年の今日、7月18日に民間検閲局(CCD)へ提出された文書を紹介します。 1947年7月18日に時事新報が民間検閲局(CCD)に提出した社説は、一部削除(Delete)処分を受けました。(Prange Call No. 47-loc-0405) 「懷中物用心」と題されたこの社説は、内務省が推奨する「防犯運動」の一環としてスリ検挙に協力を求めると共に、スリ被害が急増していることについて読者に注意を呼びかけています。また最近のスリには新米の青少年が多いことに触れています。「青少年の犯罪激増は、戦後社会に於ける世界共通の現象で、それが敗戦國に於て特に顕著なことにも例外はない」との前置きの後、なぜ昨今の日本では青少年がスリに手を染めるのかを論じています。削除処分となった箇所を一部引用します。 「勿論、戦争による生活困窮と道義的堕落の影響であるが、特に我國の場合は、國民的な誇りを失ったことと、昔から我國の青少年を愛護し監督してきた家庭が、現実に壊滅したり又著しく権威を失ったことが、特に作用しているであろう・・・・(後略)」 日本語ゲラのデジタル画像は当文庫館内および国立国会図書館デジタルコレクションにて閲覧いただけます。